ポーランド王国 「隣国に恵まれなかった中欧の大国」

ポーランド王国の成り立ち

ポーランド王国の国旗

ポーランド王国は1025年にピャスト朝によって誕生した。

この頃ヨーロッパでは中欧に神聖ローマ帝国が存在していたが、当時存在していたポーランド公国は神聖ローマ帝国と対等の立場としての独立国という形となっており、ボレスワフ1世の代となるとその所領を一気に拡大。キエフからボヘミアの西部までを支配下に収めて広大な領土を築き上げたのである。

こうして神聖ローマ帝国との元々の対等な立場に加え、広大な領土を獲得したポーランド公国は王国に昇格。ポーランド王国がついに誕生したのだった。

ポーランド王国の脆さとモンゴルのポーランド侵攻

ボレスワフ1世 Bolesław I

しかし、その繁栄も長くは続くことはなかった。ボレスワフ1世がポーランド国王に任ぜられた直後に亡くなり、ポーランド王国内で混乱が生じ始めたからである。

中世の王は近世に入ってから行われた絶対王政のような強力な権力を持ってはおらず、あくまでも各地にいる諸侯を束ねる立場だった。それはポーランド王国でも例外ではなく、ポーランド国内では国王を選挙で決め、貴族が政治を動かしていく貴族共和制をとっていた。

そのため各地で貴族によるいざこざが起きてしまい、王国が建国されてからしばらく経つとポーランド王国は分裂状態となってしまう。

さらに13世紀に入ると東から突如としてモンゴル帝国軍が襲来。

『レグニツァの戦い』、左がモンゴル軍、右がポーランド・チュートン騎士団連合軍

1241年にモンゴル帝国の武将バトゥ率いる騎馬軍団がポーランド軍を壊滅に追い込み、国土の占領はしなかったもののポーランド王国は蹂躙されてしまった。

ポーランド王国の全盛期

カジミェシュ3世 (ポーランド王)

貴族共和制による分裂状態やモンゴルの侵攻など踏んだり蹴ったりの状況であったが、14世紀に入るとポーランド王国の王カジミェシュ3世は貴族共和制を見直して、王中心の中央集権国家を樹立させていき、さらにプロイセン王国の元となるドイツ騎士団の干渉を取り除き、ポーランドの全盛期を築き上げることになる。

しかしカジミェシュ3世の死によってピャスト朝が断絶。その後、ハンガリーとの同君連合を経由して1569年にルブリン合同によってリトアニアとの同君連合が成立。

ヤゲウォ朝によるポーランド=リトアニア共和国が誕生した。

この王国は最盛期には現在のリトアニアやポーランドを始め、ウクライナ・バルト三国・一部のロシアを領有してヨーロッパ一二を争う超大国として君臨したのである。

水色がポーランド王国を盟主とするポーランド・リトアニア共和国(連邦国家)

ヤゲウォ朝の断絶と隣国の介入

こうしてポーランドは欧州の大国として君臨したが、ポーランド=リトアニア共和国が成立した直後にヤゲウォ朝は断絶。

歴史が繰り返すようにポーランド王国では選挙による国王の決定が仇となってしまい、隣国による内政干渉が激化していくようになっていった。さらに東側では徐々に統一国家ロシアが成立。さらに西にはプロイセン公国オーストリア帝国が成立しており、ポーランドは三つの欧州の大国に挟まれる最悪の状態となってしまった。

しかし、ポーランドはくじけなかった。1683年にウィーンがオスマン帝国によって包囲されると国王ヤン3世が大奮闘。

オスマン帝国軍を撤退に追い込んでポーランドの発言力を上げていった。

しかし、それでも外国の介入はとどまることを知らず、ついにヤン3世の死後、ポーランドは崩壊に向かっていくこととなる。

ポーランド王国の滅亡 ポーランド分割

1700年から始まった大北方戦争。この戦争においてポーランドは北のスウェーデン王国に対して連戦連敗。

スウェーデン王国によって傀儡の国王を即位させられてしまい、さらにこの戦争においてピョートル大帝によるロシア帝国が成立。

さらに西側ではスペイン継承戦争によってプロイセンが公国から王国に昇格し、ポーランドはかつての大国の立場からプロイセン王国・オーストリア帝国・ロシア帝国に挟まれた、なんとも気を抜けることが出来ない緩衝国としての立場に追い込まれてしまった。

選挙による国王選定による内政干渉や急成長する隣国。この2つの悩みにポーランドは耐え切れることはできず、ポーランド継承戦争の勃発によってついに没落。

ポーランド・リトアニア共和国の分割 wiki(c)de:Benutzer:Sansculotte

ポーランド王国は、プロイセン王国とロシア帝国とオーストリア帝国に分割され、1795年についにポーランド王国は消滅したのである。

ポーランドが再び独立国として復活するのは、第二次世界大戦においてロシア帝国とドイツ帝国とオーストリア帝国が共倒れすることになる、1918年のことであった。

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