「バカにされてもいい」94歳で選挙に出た きくいばあちゃんの信念(山本期日前)

ステイホーム、自粛警察、ソーシャルディスタンス…
リアル鬼ごっこの世界に入り込んだ様に、常に周囲の目を気にし、普段インドアな人間でさえもインドア疲れをしている。

私、選挙芸人を名乗っている山本期日前も例外ではなく、劇場が休館し日課であった“色んな各地の選挙を見に行く”という不要不急の権化みたいな行為も当然のように自粛し、完全ステイホームで閉塞感を感じている。
閉塞感を和らげる対策として、15年も自宅軟禁をされながら全く屈せず、信念を貫き通したアウンサンスーチー氏を思い浮かべて「自分はたった数カ月程度だ」作戦を実行しているが、中々上手くいかない。

そんな中、日本において周囲の反対の声に屈せず、信念を貫く候補者はいたのか!?と考えていたところ、1人思い出した人物がいた。

「橋本きくい候補」

なんと、“94歳”で立候補していた候補者である。

2020年1月、きくい候補は茨城県の潮来市議会議員選挙を戦っていた。

94歳の候補者がいると知った時、
「何してんねん!!」
関東生まれの僕が、思わず関西弁でツッコミたくなる程の衝撃を受けた。

何故94歳になってまで立候補するのか、理由をとにかく聞いてみたくなり春からSuicaが導入される事に大歓喜のJR鹿島線に乗り、潮来駅で下車し、そこから徒歩30分、橋本きくい候補の選挙事務所を訪ねた。

建もの探訪の渡辺篤史のように、事務所の外観をじっくり堪能してから扉を叩くと

「いた!!!!!!!!!!!!!!!!」

きくい候補はタスキを着用したまま椅子に腰かけ、支援者と会話をしていた。

3時間かけて話を伺いにきたことをきくい候補に伝え、アポなしで訪問してきた見ず知らずの若者にお話をしてくださったのでご紹介したい。

「若い者は意見を言う気概がない!」

「親の七光りで立候補しやがって!」

“On your marks.”の合図を待っていたかのように喜怒哀楽のが飛び出しまくった。
僕に会話の隙を与えず、ゾーンに入っていた。

「支援者を奪いやがって、正々堂々と勝負してこい!!」

94歳が支援者を奪われた事に怒っている。
僕は確信した。

選挙に本気だ!!!!!!

怒りが落ち着き、聞いてみたかった立候補理由について聞いてみた。

「選挙中に私は死んでもいいと思っている」

きくい候補の94歳にして立候補に至った理由は主に3つある。

1.戦争で亡くなった仲間への意識

94歳でも働き続ける理由。
それは戦争の魔力である。
きくい候補の同年代の方々が特攻隊等で亡くなってしまった。そんな中、自分だけが長生きしていいのか?今でもきくい候補の頭の中に葛藤が潜んでいる。この葛藤をかき消すように身を粉にして働き続ける。

戦争の話の時は、メモしていたペンも動かせず
相槌の言葉も見つからず、僕は聞く事だけしかできなかった。

昭和27年に結婚を期に潮来に来てから、稲作作業に従事。現在の農作業は車で機械化することが可能であるが、当時、水路でサッパ船という船に牛を乗せて移動するような、よそから見ると遅れた潮来であったという。軟弱な水田で女性にとっては過酷な労働環境であった。
さらに潮来町は遊郭の歴史があり、男尊女卑が強めな地域であったという。
このような背景から土地改良の干拓事業、女性の地位向上運動や重労働からの開放に身を捧げる事になる

実際、潮来の農業の将来の為に、夫を町議会議員に推した。昭和46年には町長選挙に当選し、夫婦で土地改革を推し進めていた。
きくい候補は婦人会を創設する等、意識改革や啓発運動に努力をした。
さらに、夫が体調を崩した事をきっかけに、理想を継続・実現する為、なんと78歳で市議会議員に立候補した。前回の選挙で落選してしまったが、78歳から90歳まで3期務めあげた。そして今回94歳での立候補だ。

凄すぎる。

馬術の最年長で有名な法華津選手は現在79歳。東京、パリ、ロサンゼルス五輪に出場し、開催地未定の2032年の五輪選考に敗れ、さらに2036年の五輪選考争いしているような事をきくい候補はやっている。

命がある限り、きくい候補は街の為に尽力する事を辞める事はないであろう。

2.若い女性に“女性が立候補していいということ”を示したい

2つ目の理由は正直驚いた。全く考えてもいなかった理由だ。
実は今回の選挙、きくい候補は立候補を考えてはいなかった。しかしそんなきくい候補の状況を一変させる出来事が起こった。

「誰も女性が立候補してないで悲しい」

実はきくい候補以外の潮来市議選候補者19名、全員男性であった。
女性の地位向上を戦ってきたきくい候補は大変ショックを受けた。

きくい候補の口からしきりに出てくる言葉があった。

「政治に女性が関われば、立派な街を作れる」

その眼差しは自信に満ち溢れていた。
だから毎回の選挙に4~5人続々と女性が立候補して欲しいと語っていた。

将来そのような状況を実現する為にも、女性議員を増やす為にも、94歳が老体に鞭を打ってでも立候補を決断した。
丸い背中を見せて育てようとしていた。

そこから次々と

「私が立候補することで、若い女性に女性が立候補していいということを示したい」
「女性が政治家になるとこんなに町が良くなるということを見せたい」
「選挙中に私は死んでもいいと思っている」
「私が立候補してバカにされるのは分かっている」

僕は引退しない高齢議員はなんて利己的な人間だとずっと思っていたが、きくい候補の涙腺崩壊話の怒涛の連打で茨城で泣いてしまった。
まさか茨城でヤンキー以外に泣かされるとは思っていなかった。

きくい候補は移動するのも一苦労。
事務所の外に出る際は毎回手すりを使っている。
体を痛めつけながらの命懸けの選挙戦だ。

バリアフリー対応の選挙事務所

3.元気な姿を見せたい

きくい候補の選挙事務所の近くには小学校がある。

「これからは人生100年時代、子供達に高齢者になっても元気な姿を見せ続けたい」

まさかの94歳の候補者は未来志向の候補者であった。

さらに、きくい候補と同年代の有権者に向けた政策を訴えていくのか?と自分の気になっっていた質問をぶつけた。

きくい候補は静かに真っすぐな眼差しで語った。
「そもそも同年代の住民はあまりいない。私が元気な姿を見せる事で自分より年下の寝たきりの状態の高齢者にも勇気を与えたい

さらに名古屋に「金さん銀さん」が存在したように潮来の「お菊さん」として地域の広告塔としての役割も考えていた。

94歳で立候補している姿に嘲笑されようが、きくい候補は信念を貫いていた。

きくい候補の濃密な立候補理由を聞けたので、既に満足感でいっぱいだったが、
さらに演説を見させてもらう事になった。

演説前にきくい候補は僕にぼそっと呟いた。

「今日の演説が最後の言葉になるかもしれないと思ってやっている」

ずるい。茨城で2度目の涙腺ダウンを喰らった。

そして注目の演説。
時間は1分間と短かったが、地域の皆様へのお願いと、手伝ってくださる仲間への感謝を語っていた。

僕は見逃さなかった。
手伝ってくれている仲間の事を「メンバー」と呼ぶタイプの94歳であった。

演説が終わった後吉本の芸人がいると聞きつけた支援者が94歳の候補者の演説でしか聞くことのできない名言を残した。

「きくいさんの演説は公約じゃなくて、遺言よ」

メンバーに弟子入りしたくなった。


結果は落選。

潮来市議会議員選挙 2020年1月26日投票|茨城県潮来市

最後にきくい候補から若者へのメッセージを紹介したい。

「もっと政治に関心を持ってもらいたい」

帰り際、きくい候補が僕に言った。

「私が死んだ後でも、想いを後世に伝えていって欲しい」

その表情は序盤のではなくであった。

Suicaが鹿島線に広がったように、
僕も生涯を通して、橋本きくいさんの魂の想いを全国に広げていく。

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