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傍聴席から見た中後大樹(仮名、裁判当時39歳)は、顔立ちも物腰もとても穏やかそうに見えました。発言する際も慎重に言葉を選びながら丁寧な言葉づかいをしていたのが印象深かったです。
その姿からはとても暴行罪で裁判を受けるような人だとは想像できません。
しかし彼の犯行は悪質なものです。
事件が起きたのは平日の午前8時過ぎ、被害者は59歳の男性でした。
「道を歩いていたら被告人がいきなり後ろから首に腕をまわしてきて路上に倒されました。その時はリュックサックを背負っていたので後頭部や腰を地面に打ち付けることはなかったのですが、被告人は倒れている私を押さえこもうとしてきました。必死に抵抗して脱け出して、その後は2人とも立ち上がって口論になりました。その時に警察官が来ました」
2人の間には面識はありませんでした。被害者からすれば、いきなり知らない男に背後から襲われたことになります。検察官はこの犯行態様を、
「被害者はケガをしていないって言っても、これ、通り魔と一緒ですよ」
と評していました。当然、被害者の怒りも苛烈なもので、
「いきなり後ろから、なんて絶対に許せない。被告人には厳罰を望みます」
と被害感情を述べています。
なぜ彼は突然、このような凶行に至ったのでしょうか。
犯行動機を訊かれた彼はゆっくりと答えました。
「いつか誰かを殴りたい、とずっと思っていたからです」
彼は大学中退後、昼はIT関連の企業で派遣社員として働き、夜は倉庫でのアルバイトをして生計を立てていました。小学生の頃に両親は離婚、彼は母親に引き取られましたがその母はすでに亡くなり事件当時は一人暮らしをしていました。
「いつか誰かを殴りたい」
そのような想いを募らせるようになったのは、夜のアルバイト先である倉庫がきっかけでした。この倉庫で彼は同僚や上司に日常的に暴力をふるわれていました。
理由もなく理不尽に暴力にさらされ続け、外見は穏やかそうに見える彼の内面では少しずつ怒りや復讐心が澱のように沈殿していきました。
イジメの話題になると「そんなところに行かなければいい。逃げればいい」などと簡単に言う人がいますが、あまりにも想像力を欠いた意見です。
それができるなら誰だってそうするに決まっています。
他者から見て理解できようができまいが、当事者の中に逃げられない事情があるから逃げないのです。単に「逃げろ」と言って解決などするはずもありません。
彼には先述の通り両親はいません。相談できるような友人もいないそうです。
事件当日、彼が見たのはお婆さんを大声で怒鳴り付け罵倒している被害者の姿でした。
お婆さんは路上でタバコを吸っていて、それを被害者は咎めていたようです。
たしかに路上喫煙は悪いことです。咎められるのは仕方ありません。しかし、被害者のしている行為は注意の範疇を逸脱していました。有形の力を行使していないにせよ、それは明らかに暴力と呼ばれるものでした。
自分の正しさを振りかざしながら弱いものを痛めつける快感に酔いしれている被害者の姿が、彼の中でいつも自分に暴力をふるう同僚や上司と重なりました。
その時、彼が今まで溜め込んでいたものに火がつきました。
「あの人なら、殴ってもいい」
彼は背後から被害者に襲いかかっていきました。
「後ろから近づいて倒すっていう行為は危険なものだとは思いませんでしたか?」
と裁判官に訊かれた際には、
「思いませんでした。私は普段から同じようなことをされていたので大丈夫だと思いました」
と答えていました。
彼は犯行時、どんな表情をしていたかを想像してしまいます。彼が憎み続けた職場の人間やお婆さんを怒鳴りつけていた被害者と同じように、暴力の快楽に醜く歪んだ顔をしていたのではないでしょうか。
裁判所の下した判決は罰金10万円という軽微なものでした。しかし、彼が人として汚れてしまったこと自体がすでに罰なのではないかと思えてなりません。(取材・文◎鈴木孔明)