【動画】西海・松島炭鉱第4坑跡 「石炭の島」繁栄伝える

赤れんが造りの巻揚機庫跡とコンクリート造りの変電所跡(中央)や竪坑跡(下)が残る松島炭鉱第4坑跡=西海市大

 坑内から人や物を引き上げる巻揚機を収めた赤れんがの建物や、コンクリート造りの変電所跡、真新しいコンクリートでふさがれた竪(たて)坑跡…。西海市松島の松島炭鉱第4坑跡には、かつて「黒いダイヤ」と呼ばれた石炭産業の遺構が残る。
 藩政時代の1781年に採炭が始まった。佐賀の実業家から三つの坑口を引き継ぎ1913年に発足した松島炭鉱。翌年、第4坑の開発に着手した。海水の流入を防ぐため開削には米国の最新工法を採用した。最盛期の人口は1万人を超え、37年の閉山まで「石炭の島」として栄えた。
 しかし、浸水事故が相次ぎ29年に第3坑で42人が犠牲に。34年には第4坑で54人が亡くなった。翌年、同社は松島での操業を断念し、三井と共同で大島の開発に着手。最後まで続いた第1坑も37年に閉山した。
 さいかいガイドの会の渋江一文さん(70)は「建物の重厚さから教会と間違う人も。かつては日本のエネルギーを支え、今は松島の宝。歴史を語り継いでいきたい」と話した。

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