長崎のDNA

 共に豊臣秀吉の側近で盟友でもあった石田三成と大谷吉継(よしつぐ)が、そろって茶会に出席した時のことだ。諸将は茶わんから一口飲み隣に回していた。吉継に回った時、ハンセン病を患っていた彼の顔から一滴の膿(うみ)が茶わんの中に落ちた▲病の感染を恐れた諸将は飲んだふりをして、そそくさと次に回した。ところが三成は茶わんが回ってくると平然と飲み干して「もう一杯」と所望し、窮地の友を救った▲三菱重工業長崎造船所香焼工場に停泊中の外国のクルーズ船で先月、新型コロナウイルスの集団感染が発生した。ようやく月末にも出港する見通しになったが、ネット上では「迷惑だ」「早く帰れ」などの言葉が飛び交っていた▲県民が感染拡大防止に心を砕いている最中の発生だった。感情を抑えきれない言葉なのだろうが、乗員は針のむしろに座る思いなのではないか▲一方で乗員を励ます手紙や手作りの見舞いの品が本紙に届いた。市民有志が船に折り鶴を贈ったり、長崎市が稲佐山の電波塔を船の煙突と同じ色にともして「連帯」を伝えたりもしている▲三成のように窮地の友に寄り添う心は時代や国を超えて胸を打つだろう。長崎は古来、外国と交流し、友情を紡いできたことを忘れてはいけない。乗員を励ます人々に長崎の「DNA」を見る思いがする。(潤)


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