ごく短期間にトップクラスの輝きを放った「ガラスの右腕」

2000年以降、1試合18奪三振以上を記録した投手はわずか4人しかいない。2001年5月8日のランディ・ジョンソン(対レッズ、20奪三振)、2015年5月13日のコリー・クルーバー(対カージナルス、18奪三振)、2016年5月11日のマックス・シャーザー(対タイガース、20奪三振)の3人はいずれもサイ・ヤング賞の受賞経験があり、多くのメジャーリーグ・ファンに知られた存在だ。この3人と比べると、残りの1人はあまり知られていない存在と言えるかもしれない。

その男の名はベン・シーツ。2004年5月16日、当時ブリュワーズに在籍していたシーツはブレーブス打線から18個の三振を奪い、3安打1失点で完投勝利をマークした。最後の9個のアウトのうち、実に8個が三振。最後は5連続三振で試合を締めくくった。

1999年のドラフト全体10位指名でブリュワーズに入団したシーツの知名度が急上昇したのは、2000年のシドニー五輪がきっかけだった。キューバとの決勝戦で3安打完封をマークし、アメリカの金メダル獲得の立役者となったのだ。しかし、メジャーデビューからの3年間(2001~2003年)はいずれも11勝をマークしたとはいえ防御率4点台。それほど目立つ存在ではなかった。

ところが、メジャー4年目の2004年は、4月10日のアストロズ戦で自身初の2ケタ奪三振をマークすると、5月16日には前述の1試合18奪三振を記録。6月13日のアストロズ戦では「イマキュレイト・イニング」(1イニングで三者連続3球三振)を達成した。最終的には34先発(5完投)で237イニングを投げ、12勝14敗、防御率2.70、264奪三振をマーク。地区最下位というチーム状況もあり、勝ち星は伸びなかったが、K/BBは8.25(1900年以降で当時歴代6位)という高水準であり、現在の評価基準であればサイ・ヤング賞の有力候補となってもおかしくなかった(実際の投票ではわずか1ポイントで8位タイ)。

キャリアハイのシーズンを過ごしたシーツは、翌年4月に4年3850万ドルでブリュワーズとの契約を延長。当時の球団史上最高額の契約だった。しかし、2005年から4年連続で3点台の防御率をマークし、2ケタ勝利も3度記録したものの、相次ぐ故障により規定投球回到達は1度だけ。2008年に198.1イニングを投げて3完封を含む13勝9敗、防御率3.09、158奪三振をマークしたのが最後の輝きとなった。

ただし、その2008年も故障によりポストシーズンでは登板できず、2009年は全休となった。2010年はアスレチックスで4勝9敗、防御率4.53に終わり、2011年はトミー・ジョン手術により再び全休。ブレーブスでプレーした2012年は9先発にとどまり、この年限りでユニフォームを脱いだ。

メジャー10年間での通算成績は94勝96敗、防御率3.78、1325奪三振。2004年に放った輝きは間違いなくトップクラスだっただけに、2005年以降の相次ぐ故障が惜しまれる。余談だが、「ガラスのエース」だったシーツは、広島や阪神で活躍したアンディ・シーツのいとこである。

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