【新型コロナ】 日本との違いは? 注目されるドイツの芸術家・フリーランスへの緊急支援 「芸術・文化支援は最優先事項」とメルケル首相が断言できる理由

新型コロナウイルスが世界各国の芸術・文化にも影を落とすなか、ドイツの緊急支援策が他国に類を見ない手厚さで注目されている。今回のコロナ危機で、なぜ経済界だけでなく、芸術・文化にも大規模な支援を行うのか。

ドイツの文化政策に詳しい藤野一夫さんのご協力のもと、その理由を紐解いてみよう。さらにドイツ在住アーティストたちに、コロナ危機の現在について語ってもらった。(Text:編集部)

ご協力:藤野一夫さん KAZUO FUJINO
神戸大学大学院国際文化学研究科教授。ゲルリッツ大学客員教授、ベルリン自由大学フェロー等を歴任。日本文化政策学会副会長、文化経済学会理事、ドイツ文化政策協会会員。専門はドイツ思想史、音楽文化論、文化政策学、アーツ・マネジメント。

世界が注目するドイツの芸術・文化支援

「アーティストは今、生きるために必要不可欠な存在だ」。3月23日、ドイツ連邦政府のグリュッタース文化大臣はこう述べ、零細企業・自営業者向けの緊急支援枠500億ユーロ(6兆円・1ユーロ=120円換算)を芸術・文化領域にも適用するなど、3本の柱からなる支援策を発表。この支援策は芸術・文化分野で働く人々を勇気付けると共に、世界から注目を集めることとなった。

ドイツのコロナ危機への対策では、メルケル首相(右)やグリュッタース文化大臣(左)など、女性政治家たちの活躍が際立つ

グリュッタース氏が発表した 芸術・文化支援

  • 零細企業・自営業者向けの緊急支援(経費などに充てられる)を芸術・文化領域にも適用:500億ユーロ(6兆円)
  • 個人の生活の保護(6カ月間の生活保護審査の緩和、住宅や 暖房費、児童手当の利用など):100億ユーロ(1兆2000億円)
  • 法的措置の緩和(家賃や保険料の据え置きなど)

参考:www.bundesregierung.de「Rettungsschirm für den Kulturbereich」

連邦政府だけでなく、各州や地方自治体も、独自の財源やノウハウを使った芸術・文化支援策を次々と打ち出している。例えばザクセン州やブランデンブルク州では、芸術家向けの奨学金プログラムを設立。コロナ時代の新たな芸術や文化のあり方について、新しいアイデアやプロジェクトを考える時間を提供する。

バイエルン州やバーデン=ヴュルテンベルク州などでは、「芸術家社会保障(Künstlersozialkasse)」に加入している芸術家やフリーランスに対し、月額1000ユーロ程度(まずは3カ月間)の支給が行われる予定だ。さらに今後、段階的に劇場やコンサートホールなどの文化施設を再開するため、各州が計画をまとめるという。

緊急支援が始まって2カ月が過ぎようとする現在、感謝の声がある一方で、州によっては手続きに時間がかかることや、支援対象とならず申請すらできないアーティストもいることなどから、実情に即していないとの批判も。

5月9日の演説で「芸術・文化支援は最優先事項」と語ったメルケル首相

メルケル首相は5月9日、改めて芸術・文化関係者と市民に向けて演説し、芸術や文化がドイツにとっていかに重要であるかを語り、今後も芸術・文化関係者たちの声に耳を傾けながら各州と連携して支援を行うと明言した。接触制限などの規制が緩和されつつあるドイツだが、芸術・文化分野にとってもまだまだ難しい局面は続きそうだ。

5月9日のメルケル首相演説「コロナと文化」

動画はこちら:https://youtu.be/dIBa_MgeJ0o

藤野さんによる仮訳はこちらの記事から:https://this.kiji.is/637941184414418017

なぜ手厚い支援が可能なのか?「芸術・文化が守られる」3つの理由

理由1:かゆいところに手が届く「地域主権」だから

ドイツでは第二次世界大戦中、ナチス政権によって芸術や文化が巧みにプロパガンダとして利用された過去がある。また、新しい芸術や文化活動に「退廃芸術」とレッテルを張り、弾圧した。その反省から、戦後の西ドイツでは文化・芸術・メディア・教育・大学を国に管理させず、各州によって自治が行われるようになった。

この「地域主権」に、ドイツの芸術・文化支援の特徴がある。「地域主権」の利点は、中央に権力が集まり過ぎないことだけではない。その土地の人々の実情にかなった支援を行うため、地域ごとに豊かで多彩な芸術・文化が醸成されている。

1937年にナチス政権下で開催された「退廃芸術展」。ナチスが押収した前衛的な作品や非ドイツ的な表現に対し、あざけるような解説ラベルが付けられた

ちなみに、平常時のドイツ全体の公的文化歳出(いわゆる税金による文化予算)は年間約105億ユーロ(1兆2600億円)だが、このうち連邦政府からの予算はわずか13.5%。連邦政府が芸術・文化分野で担う役割や権限も非常に限定的で、基本的にドイツ全土に関わる支援(主に外交関係、首都ベルリンの支援、ナチスの過去の克服)など、国として対応が必要な案件のみを担当する。

そのため、グリュッタース氏が発表したコロナ危機の緊急支援も、実際には州ごとに具体的な制度へ落とし込まれ、支援内容や対象者、手続きなどもそれぞれ異なる。

理由2:自動車・機械産業に次ぐ重要な産業だから

ドイツ全土にはおよそ6800館の博物館・美術館があり、年間の来場者数は約1億4000万人に上る。また、市立・州立だけでおよそ300の劇場があるほか、プロオーケストラが130団体、映画館は4800以上など、欧州の他国と比べても圧倒的な数の文化施設が質の高い芸術・文化を発信。

さらに、5年に1度開催される現代アートフェスティバル「ドクメンタ 」には100日間で世界中から約89万人、10年に1度の「ミュンスター彫刻プロジェクト」には3カ月半で約65万人が訪れるなど、先鋭的で社会性の強いアートも存在感を示し、世界中の人々を惹きつけている。

現代アートフェスティバル「ドクメンタ 」には、社会性・政治性の強い芸術作品が集まり、市民も巻き込んだ議論や対話の場が生まれる

ドイツの文化・創造経済の年間の価値創出総額は1005億ユーロ(12兆円)で、これは自動車産業、機械産業に次ぐ。今回のコロナ危機では、文化施設の閉鎖やおよそ8万件のイベントが中止されたことで、現状ではこの総生産額は大幅に落ち込み、大半の人が収入源を失うことが予想されている。

また、文化・創造分野で働く人の数はおよそ120万人、企業数は25万6000。彼らの大半が零細企業や個人事業主に該当するため、先の緊急支援策の対象者ということになる。

理由3:ドイツの共生社会を支えてきたから

戦後のドイツでは、人々は芸術や文化を受動的に「鑑賞」するだけではなく、芸術・文化を通して自分と違うものの見方に接し、主体的に考える力を養うべきとの考え方が定着した。その背景には、第二次世界大戦中に市民が批判的な判断能力を失ったまま、ナチスの政策に加担していった過去への反省などがあるといわれている。

そのため国や州は、芸術や文化を統制してはならないが、市民が芸術や文化と自由に関わることのできる環境や条件を整備する責務がある。芸術や文化を通して、人々は未知のものや多様な価値観と向き合い、共生社会を築くための基盤をつくってきたのだ。

今回のコロナ危機では、ドイツに住む人々が自由な芸術・文化活動を行えず、そして芸術・文化を担う人々の仕事と暮らしが著しく脅かされている。各国の国境が閉じられ、自国優先の価値観が強まっていけば、人々が互いを理解し合うことはより難しくなってしまうだろう。

ドイツにとって芸術・文化はこれまで、文化的な慣習や言語の壁を乗り越えるなど、多様な人々が共生するために必要不可欠なものだった。メルケル首相が「(芸術・文化によって)過去をより良く理解し、未来に全く新しい眼差しを向けることができる」と述べたように、ドイツでは困難な時こそ、芸術・文化への支援が重要という認識があるのかもしれない。

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