どう返す? 集めたアイヌの遺骨1287体  研究で持ち去られ、ウポポイ慰霊施設に

遺骨の再埋葬で浦幌アイヌ協会が実施した儀式の祭壇=2019年8月、北海道浦幌町

 北海道白老町のアイヌ文化発信拠点「民族共生象徴空間」(ウポポイ)の慰霊施設に、1200体を超えるアイヌ民族の遺骨が集約されている。かつて道内各地で研究者らに持ち去られ、全国の大学で保管されていたアイヌの先祖たちだ。

 国は施設で「尊厳ある慰霊」を実現し、申請があれば地元に返還するとしているが、アイヌの団体が訴訟を通じて遺骨を取り戻すケースも目立つ。国、アイヌ双方とも遺骨の地域への返還を目指しているものの、その先に見据える世界は大きく異なる。(共同通信=青柳絵梨子)

 ▽研究目的、12大学で保管

 1880~1970年代、東京大や京都大、北海道大の医学者がアイヌの頭骨を研究するため、道内や樺太のアイヌコタン(地域集団)で大量の遺骨を持ち去った。

 19世紀の欧米では、人間の頭骨の形や大きさを計測することで人種の特徴や優劣を明らかにできると考えられていた。こうした時代背景の中で、アイヌの頭骨は研究者に注目されていた。

 東大の解剖学者小金井良精(こがねい・よしきよ)は明治期、日高や十勝地方で160以上の頭骨を、京大の病理学者清野謙次(きよの・けんじ)は大正期に樺太で50以上を収集した。北大の解剖学者児玉作左衛門(こだま・さくざえもん)らは昭和期に大量に集め、北大が1982年に北海道ウタリ協会(現アイヌ協会)の求めに応じて公表した保管数は1004体に上った。

 文部科学省が公表した資料によると、全国12大学に保管されていた遺骨は2016年時点で1676体。このうち1287体が昨年12月までにウポポイの慰霊施設に集約された。各大学は「静謐(せいひつ)な環境で作業したい」などとして、遺骨を施設に運び込む日程を明らかにしなかった。

 ▽「尊厳ある慰霊」とは

 昨年6月、東京・八重洲のアイヌ文化交流センター。北海道日高地方のアイヌでつくる「コタンの会」の清水裕二(しみず・ゆうじ)代表が、菅義偉内閣官房長官とアイヌ政策推進会議に宛てた質問書を内閣官房の担当官に手渡し、遺骨の地域返還を推進するよう要望した。

内閣官房の担当官に質問する「コタンの会」の葛野次雄副代表=19年6月、東京・八重洲

 「国が考える『尊厳ある慰霊』とは何なの」。質問書を渡した後の意見交換の場で、同会の葛野次雄(くずの・つぎお)副代表が尋ねた。担当官は「遺骨の取り扱いがひどいことにならないように気を付けていかなくてはならない」「そういったものを慰霊ということで表現している」としどろもどろになって答えた。すかさず次の質問が飛ぶ。「ひどいって具体的にはどういうことを指しているの」

 アイヌは元来、死者を土に埋葬すると草も木も刈らず、墓石も建てない。墓参りもせず静かに休ませるのが慣習だ。その様子を和人(アイヌ以外の日本人)が「ひどい」と言うことを気にするアイヌもいる。葛野副代表は憤る。「草を刈れ、アスファルトにしろと言ったのはあなた方でしょう。私たちの文化も分かってくださいよ。そういう理解の中から『尊厳』という言葉が出てくるんじゃないの」

 ▽また研究に? 消えぬ懸念

 これに先立つ18年12月、国は大学が保管する遺骨を地域に返還する手続きをまとめたガイドラインを公表した。遺骨を慰霊施設に集約した上で、地域への返還を申請したアイヌの団体が、確実に慰霊できる「適切」な団体かどうかを国が判断するとしている。

 昨年11月には、北大がガイドラインに従って遺骨を慰霊施設に集約すると発表した。北大は頭骨と四肢骨を分離して保管していたことを「不適切だった」と反省したものの、学者による発掘行為は当時の法律に照らして「違反はなかった」と謝罪しなかった。

19年11月、遺骨を慰霊施設に集約すると発表する北海道大の笠原正典学長職務代理=札幌市

 かつて頭骨計測のために持ち去られた遺骨は、今なお研究素材として見られている。17年10月、日本人類学会所属の山梨大と国立科学博物館の研究者らが、札幌医科大が保管する遺骨94体のDNAを研究して論文を発表した。

 札医大と北海道ウタリ協会は06年10月、遺骨の保管や研究について両者が「合意できる形で進めていく」と覚書を交わした。だが、遺骨返還を求めるアイヌから「先祖の遺骨を勝手に研究対象にされた」と批判が続出した。札医大は「反対意見を聴取した上で(研究を)許可していれば、コンフリクト(紛争)はなかった」と落ち度を認めた。このためアイヌの間では、慰霊施設の遺骨が再び研究に利用されるとの懸念が根強い。

 「アイヌ民族の歴史」の著者で知られる東北学院大の榎森進(えもり・すすむ)名誉教授(歴史学)は「北大や東大などの学者がアイヌの墓地から遺骨を盗んだことは明らかで、道義的に問題がある」と指摘。その上で「大学や慰霊施設を管理する国は積極的に地域のアイヌ団体に働き掛け、遺骨を返還する責任がある」としている。

 ▽訴訟相次ぐ

 「先祖の遺骨は地元に返ってこそ安らかに眠ることができます。私たちはこれから、先祖とともに世の中を歩いて行けます」。昨年8月、北海道浦幌町の浜厚内生活館。持ち去られた先祖の遺骨を再び土に埋葬する儀式を終えた浦幌アイヌ協会の差間正樹(さしま・まさき)会長(当時)は、こう言って参列者にあいさつした。

返還された遺骨を再埋葬する浦幌アイヌ協会のメンバーら=19年8月、北海道浦幌町

 浦幌アイヌ協会にとって再埋葬は3度目。今回埋め戻した遺骨は、札医大から返還された1体、町立博物館から返還された1体の計2体だ。博物館が地域のアイヌに遺骨を返還するのは初めてのことだった。

 2体は江戸時代の女性とみられ、協会のメンバーは遺骨が入った箱を墓穴に並べると、青い生地にピンク色の花が描かれた女性用の着物を掛けていた。

 浦幌アイヌ協会は遺骨の返還を求め、14年に北大、18年に札医大を提訴。それぞれ和解し、昨年夏までに約100体が故郷へ返還された。取り戻した遺骨の数は、返還訴訟を起こしたアイヌの団体で最多だ。昨年11月には、東大に遺骨6体の返還を求め提訴した。

 ▽先住権の闘い

 大学が保管する遺骨の返還手続きを定めたガイドラインに従わず、訴訟を起こした理由について、市川守弘(いちかわ・もりひろ)弁護士は「遺骨の返還を受けることは先住民族の集団の権利だから」と説明する。

 遺骨の返還を受ける権利とは、07年に日本も批准して採択された「国連先住民族の権利宣言」第12条に明記された先住民族の「集団」の権利の一つだ。先住民族の集団は宗教的な慣習や儀式などを実践し、遺骨の返還を受ける権利があるとしている。

 アイヌの場合は先祖の遺骨を管理している各地のコタン(地域集団)が権利を持つ。だが国は明治以降の北海道開拓で同化政策を推し進め、コタンの構成員のサケ捕獲を禁じたり、コタンが支配する土地を奪ったりした。国はコタンが既に存在しておらず、国連宣言が言う先住権を行使するアイヌの集団はいないとする立場だ。

 市川弁護士が続ける。「仮に大学に申請し、返還を受ける集団の適格性を国に判断してもらうとなれば、自分たちで先住権を否定することになる。そんな手続きには乗らない」

 遺骨返還訴訟はアイヌの先住権回復への一歩として、その和解条件が注目されてきた。12~17年、浦河町や紋別市、浦幌町、旭川市、新ひだか町のアイヌが遺骨返還を求め北大を提訴。和解となった訴訟4件は、いずれも民法が想定する祭祀(さいし)承継者「個人」ではなく、コタン全員で祖先をまつるアイヌの慣習に従い、その子孫でつくる「集団」に遺骨を返還した。

 遺骨返還の権利を明記した国連宣言がうたう、土地権やサケ捕獲権などの集団的権利の回復につながる画期的な内容だった。だが国はガイドラインで遺骨を返還する「集団」の適格性を判断すると表明し、この流れに「待った」を掛けた。

 榎森名誉教授は「各地の団体が100体以上を取り戻した遺骨返還訴訟は、事実上の先住権の実践にほかならない。遺骨の多くが盗品であることを黙認してきた国に、返還を受ける団体の適格性を判断する権限はない」と断じる。

 さらに「遺骨の受け皿になるコタンやそれに代わる団体がないとするならば、それは約150年にわたって同化政策をしてきた結果」として、国に謝罪とコタン再生を支援するよう求めた。

 ▽アイヌの間での意見の違いも

 先祖の遺骨を地元へ取り戻そうとするアイヌと、ウポポイの慰霊施設での保管を訴えるアイヌの対立も起きている。「コタンの会」は17年、新ひだか町から持ち去られた遺骨195体の返還などを求めて北大と同町を提訴。18年にも浦河町から持ち去られた遺骨35体の返還を求め、札医大を提訴した。

 だが、新ひだかアイヌ協会と浦河アイヌ協会は慰霊施設での保管を主張。関係者によると新ひだかアイヌ協会は被告側に補助参加し、遺骨を慰霊施設に集約し、DNAを調べて祭祀承継者を特定後、返還することを提案した。コタンの会は「アイヌの間で争いは起こしたくない」と両方の訴えを取り下げた。

 

オーストラリア国立大のテッサ・モーリス・スズキ名誉教授

▽豪はシドニー五輪契機に

 アイヌに関する著書があるオーストラリア国立大のテッサ・モーリス・スズキ名誉教授(日本史)は、オーストラリアの先住民の例を引き合いに、アイヌの現状に警鐘を鳴らす。

 オーストラリアでも研究者が先住民アボリジニやトレス海峡諸島民の共同体の同意なく遺骨を持ち去り、大学などに保管していた。スズキ名誉教授は「大学などは先住民に求められ個別に少しずつ返していたが、政府の方針に従い、返還を受ける権利を持つ共同体に遺骨を返す動きが本格化したのは11年だ。返還は今も続く」と説明する。

 「日本にとってもアイヌの遺骨返還は重要な課題だ。奪われた遺骨は『私たちの土地に何をしたのか。私たちに何をしたのか』と、先住民ではないわれわれに問い掛けている。真剣に考え、答えを探らねばならない」

 スズキ名誉教授によると、オーストラリアでは00年のシドニー五輪の約2カ月前、多くの人が観光名所のハーバーブリッジに集まり、かつて国が先住民に行った不正義を謝罪するよう求めた。五輪が先住権獲得の闘いの節目になったという。

 翻って日本では、東京五輪の開会式でアイヌ伝統舞踊を披露する計画が不採用に。新型コロナウイルスの感染拡大を受け開業が延期されているウポポイの認知度は2月時点の道の調査で、東京都や大阪府など1都2府9県でわずか10%。東京五輪がアイヌの先住権への関心を呼び起こすイベントになるかは不透明だ。

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