礼文島のトド撃ちハンター、84歳が現場に立つ理由  熟練の技と島随一の腕前が語る、若者への思い

ライフル銃を構え、狙いを定める俵静夫=3月、北海道・礼文島沖

 北海道最北端、稚内市の沖に浮かぶ「礼文島」。夏には高山植物が咲き誇るこの島に50年以上もトドを追い続ける老ハンターがいる。漁師の俵静夫(たわら・しずお)(84)。島に18人いるハンターの中で最高齢だが腕前は随一だ。老いてなお、なぜ俵は今も1人で極寒の海に乗り出すのか。3月中旬に猟に同行し、熟練の技と「トド撃ち」への思いに迫った。(文中敬称略、共同通信=小島拓也)

 3月17日早朝、青空の下で俵の小型船「第二十八龍丸」が島北部の港を出発した。風は強く、厚手のコートを着ていても寒さを感じる。俵はたばこをくわえながらひょうひょうと船を操縦する。慣れない私は波を越える度に腰が宙に浮き、何度も尻もちをついた。水しぶきが激しく飛び散り、カメラや上着は海水が乾いた塩で白くなった。

ライフル銃を右手に、左手だけで船外機のハンドルを操作する俵静夫=3月、北海道・礼文島沖

 「ここから漁場だから弾を込めるわ」。沖合へ20分ほど進むと、俵は船を止めた。数十年前から愛用するライフル銃に手早く銅弾を込め、臨戦態勢に入る。目つきがさっと変わり、緊張が走る。

 静かな海には船体に波が打ち付ける音だけが聞こえる。周囲に他の船は見当たらない。「あそこだ」。突然、俵が声を上げた。指さす先には、約10頭のトドが茶色い頭を海面に突き出していた。距離は100メートルぐらいだろうか。

 ライフル銃を右手に持ち、左手だけで船外機のハンドルを操作し急加速。30メートルほどに距離を縮めると、荒波で左右に激しく揺れる船体で仁王立ちのまま、照準を合わせ、引き金を引いた。耳をつんざく銃声が響く。だが弾は海中に逃げ込むトドをわずかにかすめた。「逆光で駄目だったな」

ライフル銃を構えトドを狙う俵静夫=3月、北海道・礼文島沖

 俵は、礼文島沖の「海驢(とど)島」で9人兄弟の長男として生まれた。島は今は無人島になっている。

 トド撃ちを始めたきっかけは、20代後半の時に、船頭として知人ハンターの猟に同行したこと。当時は無人島に上陸したトドを撃つ手法だった。が、成果は少なく「自分で猟をした方が良い」と28歳で散弾銃の免許を取得した。その後は友人が船を操り、俵が仕留める2人体制で行ってきた。だが、友人の体調悪化もあり30年ほど前からは1人で海に出ている。

 猟は「水撃ち」と呼ばれ、水中を高速移動するトドを狙う。「呼吸のため顔を出す一瞬が狙い目。一度潜ると次に姿を見せるのは100~150メートル先だ」。長年の経験からトドの移動ルートを把握し、次の出現場所を予測して銃を構える。俵は身長158センチ、体重48キロと小柄だが、全長約1メートルで重量のある銃を表情一つ変えずに操る。

海面に現れたトド=3月、北海道・礼文島沖

 また、猟では自分に厳しいルールを課す。「駆除であっても苦しむ姿は見たくない」と急所の頭に照準が完全に合わなければ撃たない。1回の猟で撃つのは多くても3発。仕留めたトドは自ら解体して調理したり、稚内市にある水産試験場に送って生態調査に役立てたりしている。

 道によると、18年度のトドによる被害は推定約10億600万円に上る。島でもホッケやタラが食い荒らされたり、網が破られたりしている。「昔は魚があふれるほどいたが、この20~30年で一気に減った。それが一番つらい」と俵はこぼす。

 国は年間約500頭まで捕獲可能としている。道では、申請を出せば、漁協などで一定数の捕獲が許可される。礼文島では、コンブやウニの漁期から外れる11~翌年3月、漁師たちが駆除のための猟を続けている。

 他のハンターが多くて3、4頭の中、俵は今期で最多の8頭を仕留めた。「一頭でも多く減らし、漁場を守りたい」。そんな思いで引き金を引いてきた。

 気がかりなのは後継者問題だ。18人いるハンターの大半は50~60代。高齢化が進む一方で、島で新たにハンターになる者はほとんどいない。

 こうした状況で、俵は2人の若手ハンターに期待を寄せる。島では地元漁協が実績に応じてハンターそれぞれに猟の日数を割り振っている。最多の日数を持つ俵は、経験を積んでもらおうと、若手2人に1週間分をゆずっているという。「俺はいつ猟ができなくなるか分からない。早くトドの習性や暗礁の場所などを把握し、一人前になってほしい」

 若手ハンターの1人、漁師の山内成人(やまうち・なるひと)(36)は「俵さんのようになれるには何十年かかるか分からない。地道に経験を積み、少しでも多く仕留められるようになりたい」と力を込める。

 高齢なこともあり、兄弟からも「無理せずにやめた方が良い」と心配されることもあるという俵。だが「やめようと思ったことは一度もない」と語る。「自分を超える後継者が現れるまでは猟を続けたい。死ぬまで海で働く覚悟だ」。これからも、トドを追い続ける。

猟を終え、ライフル銃の手入れをする俵静夫=3月、北海道・礼文島

 ▽取材を終えて

 「他のハンターを自分の船に乗せて指導することはあるのか」と尋ねると「海を知るのに人の船じゃだめだ。自分の身で経験して覚えないといけない」と答えてくださった。この言葉が印象に残っている。一人前になるには、人に聞くばかりでなく、自分の頭で考えることが重要なのだろう。どの職業にも当てはまる気がして、思わず、わが身を省みていた。

 猟の後には「飯食っていくか」と声をかけていただき、トドのひれの酢みそあえや焼いたホッケなどをごちそうになった。ひれは、コリコリとしていて歯ごたえがあり、不思議な食感だった。見ず知らずの記者にも優しく気さくで、こうした人柄に魅了され、今も足しげく俵の元に通う研究者や報道関係者がいるのだろう。

 荒れ狂う波や潮風、トドの群れ―。見るもの全てが非日常で、俵と共に海に出た日の記憶は強く脳裏に焼き付いている。数年後、十数年後のトド猟はどうなっているのか。また話を聞いてみたい。

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