なぜ“3ストライク4ボール”なのか? 今さら聞けない野球のルールを振り返る

いまさら聞けない“野球カウント”の歴史を振り返る

3ストライクでアウト、4ボールで一塁へ歩くは野球の基本のルールだが…

「3ストライクでアウト」「4ボールで一塁へ歩く」は、野球の基本中の基本だ。今ではこのことに疑問を感じる野球ファンはいない。しかし、なぜ3ストライク4ボールになったのか? はあまり知られていない。

野球は18世紀半ばには、イギリスにその原型となるゲームが存在したとされる。ストール・ボールと言われた“野球の祖先”は、ボールをバットで打つことが中心のゲームで、投手は下手投げで打者が打ちやすいボールを投げた。打者は投手に「高め」「低め」など好きなコースを要求することができた。選手数は9人だったが、全員がアウトになるまで攻撃は続く。攻守交替してまた9人アウト。これが2回(2イニング)繰り返されて試合終了だった。

これがアメリカにもたらされてタウン・ボールとなる(ベースボールはアメリカ発祥で、イギリスのゲームとは無関係という説もあるが)。タウン・ボールのルールは地域によってばらばらだった。1845年にアレクサンダー・カートライトがこれまでのルールを集約して「ベースボール」のルールを作った。1858年ころまでにルールはさらに改定された。この間、野球は9アウトから3アウトで攻守交代と変更され、試合も2イニングから9イニングに代わった。

そして投手が投げるボールを3回空振りすれば、打者は打つ権利を失い「アウト」を宣せられるルールもできた。なぜ「3回空振り」だったのかはよくわかっていないが、3アウトでチェンジになったことと関連があると考えられている。

1876年には今のMLBの前身であるナショナル・リーグが発足。このときには「3ストライク9ボール」

さらに、「本来、打てるコースに来たボールを打たずに見逃した場合は、空振りしたのと同じとみなす」というルールが決められた。投手が投げたボールが「打てるボールかどうか」は審判が判断した。打てると判断したボールを見逃した時に審判は「ストライク!(打ちなさい)」と打者を促した。これがストライクの起源だ。その後、投手が、打者が打つことができないコースにボールを投げると「ボール」と宣言することも決められた。なぜ「ボール」と言ったのかはよくわかっていない。

また「ボール」が一定数になると走者が一塁に歩くルールもできた。今の「四球」の起源だ。しかし、何球「ボール」になれば一塁に歩くのかは、地域によってさまざまだった。ちなみに「四球」は日本だけの用語で、アメリカでは「fourball」と言う言葉はない。「base on balls(略してBB)」または「walk」という。もともと「四球」ではなかったのだから当然だ。

こうしたルールが固まる中で、ニューヨークを中心にベースボールは大人気となり、1876年には今のMLBの前身であるナショナル・リーグが発足した。このときには「3ストライク9ボール」だった。またストール・ボールのルールが残っていて、投手は下手投げで、打者は「高め」「低め」など自分の好きなコースを投手に要求することができた。

試合時間短縮のため3ボールも検討されたが…かえって時間は伸びることに

この「3ストライク9ボール」が、徐々に変わっていく。その変化とナショナル・リーグでの「walk」と「三振」の比率を見ていこう。記録サイト「Baseball Reference」による

1876年 「9ボール」0.57(336/589)
1880年 「8ボール」0.37(740/1993)
1882年 「7ボール」0.74(1592/2159)
1884年 「6ボール」1.14(4947/4335)
1886年 「7ボール」1.31(5554/4248)
1887年 「5ボール」1.02(6053/5924)
1889年 「4ボール」0.95(7316/7669)

この間、1880年には投手、本塁間が45フィート(13.716m)から50フィート(15.24m)になる。1884年には上からボールを投げることが認められる。1886年に「6ボール」が一度「7ボール」に戻されたのは、上手投げになって「walk」が増えたからだ。

1887年には、打者が投手にコースを要求できなくなる。そして1893年には投手、本塁間が現行の60フィート6インチ(18.44m)になる。2019年MLBの「walk」と「三振」の比率は、0.37(15895/42823)になっている。

9ボールが4ボールになったのは、時間短縮という意図があった。また9ボール時代は、ボールの数え間違いのトラブルもたびたびあった。1884年に投手が上から速い球を投げることが認められた当初は「walk」が増えたが、やがて投球技術が向上し、「4ボール」でもそれほど歩かせることがなくなった。

野球は日本には1872年ころにもたらされたと言われる。当時は「9ボール」だった。アメリの野球は、ここから次々とルールを変更した。今もそうだが、日本野球はアメリカがルールを改定すると少し遅れてこれを導入している。その当時も遅れてルールを改定した。しかし、「walk」に関するルール変更はあまりにも頻繁だったので、地域によっては混乱が生じた。

MLBでは「4ボール」は、何度も見直しが検討された。「3ボール」にすればさらに試合短縮につながるのではないかと、春季キャンプやオープン戦で実験的な試合が行われたが、ほとんどの場合「walk」が増えて、試合時間はかえって伸びてしまった。

「3ストライク4ボール」は、野球界が永年試行錯誤を繰り返して磨き上げた「絶妙のバランス」だといえよう。(広尾晃 / Koh Hiroo)

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