B・マーレイ&A・ドライヴァー主演! ジャームッシュ監督がゾンビ映画を撮ったらこうなった
日ごろスマホを触っていると、いつの間にか夢中になり、自分自身がスマホに操作されているんではないかという気持ちになることがある。そして自宅で、喫茶店で、気付いたらコーヒーを飲み、タバコを吸っている。僕がタバコを咥えているのではなく、タバコが僕に咥えさせているんではないか? “実態”とはなんぞや……なんてところにまで考えが及んでしまう。
2020年、やっとこさジム・ジャームッシュ監督の新作『デッド・ドント・ダイ』が日本で公開となる。本作にも主演するアダム・ドライヴァーの『パターソン』、同じく出演者のイギー・ポップ率いるザ・ストゥージズのドキュメンタリー『ギミー・デンジャー』(共に2016年)から、約4年ぶりの監督作である。
本作の舞台は“センターヴィル”というアメリカ郊外の田舎町。あるとき突如として動物たちが異常行動を始め、スマホやラジオ、時計、日照時間までもが狂いだす。それを発端に死者が墓から蘇り、ゾンビとなって町を闊歩しはじめた。そして、ダイナーで凄惨な殺人事件が起こったことにより、町に3人しかいない警察官のクリフ(ビル・マーレイ)、ロニー(アダム・ドライヴァー)、ミンディー(クロエ・セヴィニー)が捜査に乗り出すことに…‥と聞くと「ステレオタイプなゾンビ映画じゃん」と思ってしまうような内容だが、実はちょっぴり違う。
まず、町が混乱状態に陥っているにもかかわらず、事件に対して特に説明されない。しかもクリフとロニーはパニックに陥るでもなく、ぬる~い温度感で事件を追う。例えるならば友達同士コンビニ前で、なんてことのないネットゴシップについて「なんだろね~これ」などと言い合っているレベルだ。ただし、その温度感は本作が従来のホラー映画にありがちな“効果音で驚かせる”といった安直な演出をしていないところにも通じていて安心する。
猛烈にユルい展開ながら個性豊かな登場人物たちが暗示する現代社会へのメッセージ
スリルとはかけ離れた雰囲気でストーリーが進んでいくうちに、徐々にゾンビの生態がわかってくる。ゾンビたちはとりあえず町中を歩いているだけで、人を襲うことが第一目的ではないということ。そして、生前に依存していた物(スマホやWi-Fi、コーヒー、楽器など多岐にわたる)を求めて彷徨っているということ。これについて監督は、生前の趣味嗜好を求めるゾンビは、物事に支配されがちな現代人の比喩であると語っている。
かように現代人の比喩として描かれるゾンビは、比較対象を効率的に演出するためのメタファーのようにも感じられる。町の住民たちから“世捨て人”と呼ばれているホームレスのボブ(トム・ウェイツ)はマイノリティということになるが、たったひとり自給自足で生きている彼は、他の何にも支配されていない。ということは、支配されている側である住民たち(現代人)と比べて、むしろマジョリティとしての自由を謳歌しているように見えてくる。
また、更生施設に入れられている子供たちは、鈍感な大人たちと違ってTVで報道される地球の自転異常に対して敏感に反応していたりする。これは、子供たちが置かれている状況=更生施設=囚われている=若者が現代社会に感じている閉塞感、とも捉えられる。ゾンビ・パニックをきっかけに施設を抜け出す子供たちの描写は、監督が現代の若者たちに一縷の希望を見出しているということなのかもしれない。
こう書くと、重いテーマなのかな? と思ってしまうけれど、決してそんなことはない。シニカルながらもユーモアを忘れない演出や、ベタな小ネタ(アダムの『スター・ウォーズ』ネタもあり)、豪華キャストによるウィットの効いた小気味よい会話を楽しんでいると、まったく理解できないバカバカしいクライマックスを迎える頃には、なんだか妙に納得させられているのだった。
文:巽啓伍(never young beach)
『デッド・ドント・ダイ』は2020年6月5日(金)より全国公開