屋鋪要氏が長嶋監督と交わした約束 “巨人軍は紳士たれ”も口髭を貫いた訳

大洋、巨人で活躍した屋鋪要氏【写真 :神立尚紀】

長嶋茂雄監督からまさかの一言

Full-Countでは、DeNAベイスターズの前身の大洋ホエールズ(1950~52年、55~77年)と横浜大洋ホエールズ(78~92年)で活躍した、個性豊かな名選手を取り上げている。今回は、球界きっての“いだてん”として鳴らし盗塁王を3度獲得、現在は野球指導者の他、鉄道写真家、鉄道模型のレイアウト製作者としても活躍中の屋鋪要さんの登場だ。

横浜大洋の「スーパーカートリオ」の1人として活躍した屋鋪さんだが、チーム名が横浜ベイスターズとなった1993年のオフ、若返りを図るチーム方針から外れ自由契約となり、34歳で巨人に移籍。現役生活最後の2年間を過ごした。

巨人は選手にヒゲを蓄えることを許さないのが伝統で、他球団でヒゲをトレードマークにしていた選手であっても、移籍と同時に剃るケースがほとんどだ。しかし、屋鋪さんは口ヒゲを通した。そこには裏話がある。「入団当初、当時の長嶋茂雄監督から、こっそり『剃るなよ』と言われたんですよ。『どう思う? ウチの選手はスカートをはいて野球をやっているようなヤツばかりだろ?』と言われました」

ミスタージャイアンツは、実は巨人の伝統からはみ出すくらいの、野性味あふれる選手が好きだったのだ。「まあ、僕自身も剃る気はなかったですけどね。『巨人軍は常に紳士たれ』という言葉がありますが、紳士だってヒゲは生やすでしょ」と屋鋪さんはいたずらっぽく笑う。94年にはリーグ優勝と日本一に貢献。史上最高の決戦といわれる“10・8”にも守備固めで出場した。

鉄道写真家としても活躍する屋鋪要氏【写真 :神立尚紀】

鉄道写真家として蒸気機関車を撮り続ける理由

現役引退後、蒸気機関車を主な被写体に鉄道写真家として活動を始め、周囲を驚かせた。2014年に「目指せ打率10割! 屋鋪要の保存蒸機完全制覇」(ネコ・パブリッシング)を発行。昨年10月には、写真集「遥かなる鐵路 いま逢いに行ける蒸気機関車」(日本写真企画)を上梓し発売中だ。YouTubeでも、全国の静態保存中の蒸気機関車を訪ね動画を公開している。

「小学生の頃から蒸気機関車が大好きで撮影に出かけていましたが、中学(兵庫・三田学園中)入学と同時に寮に入り野球漬けの毎日となったため、“志半ば”で中断せざるをえなかった。現役を引退して、ようやく再開できたのです」

蒸気機関車は、亡き父の思い出ともつながっている。屋鋪さんは小学6年の夏休みに、父・貢さんとともに北海道の蒸気機関車を1週間かけて撮影して回った。これをきっかけに、鉄道写真撮影は貢さんの趣味にもなり、その後は1人で全国を旅していたという。貢さんは1982年に57歳で亡くなったが、屋鋪さんの長男・大地さんもブルートレインが大好きで、年に1度親子で撮影旅行を楽しむ。鉄道への思いは、3代に渡って受け継がれているのだ。

一方、野球指導者としての活動も続けている。約20年間、幼稚園児から中学生までを対象に都内や神奈川県内などで野球塾を開講。同時に100人を超える受講生を抱えた時期もあった。今年度も、新型コロナウイルス感染拡大による休止をへて、6月1日にスタートした。

教え子にはDeNA・乙坂智外野手、同・関根大気外野手、ヤクルト・奥村展征内野手らもいる。「子供たちの野球人生は、指導者によって大きく変わります。僕は自信を持って『絶対間違いのない基本を教えてあげるから、忘れるなよ』と伝えています。特に、頭を使って考えながら野球をやれと強調しています。それに人間として、いじめは絶対に許しません」と言う。

「教え子たちには、野球という素晴らしいスポーツに長く携わってほしいですし、次の世代に引き継いでいってほしいです」。多彩な才能を発揮している屋鋪さんだが、その芯の部分にはやはり、野球がでんと腰を据えている。(宮脇広久 / Hirohisa Miyawaki)

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