宮崎の口蹄疫から10年、忘れられぬ「あの惨状」 現場支援に当たった研究者の述懐

口蹄疫感染の疑いが確認され、埋却処分される牛=2010年6月、宮崎県都城市

 牛や豚に感染して瞬く間に広がり、畜産に大ダメージを与える家畜伝染病の口蹄疫(こうていえき)。約30万頭の殺処分に至った宮崎県での大発生から10年がたった。農業・食品産業技術総合研究機構動物衛生研究部門海外病研究拠点(東京都小平市)の山川睦(やまかわ・まこと)海外病研究統括監は、家畜伝染病のエキスパートとして当時、現場の支援に当たった。今、人間の間では新型コロナウイルスが猛威を振るうが「動物の伝染病も、海外から持ち込まれる危険は常に隣り合わせ。あの惨状を繰り返さないため、日頃の防疫体制や備えを徹底する必要がある」と話す。(共同通信=永井なずな)

 ▽陽性

 2010年4月19日深夜、発熱やよだれの症状がある牛3頭の検体が、宮崎県都農町から小平市の施設に届けられた。陰圧構造の特殊な施設で検体は直ちに検査され、翌20日未明、口蹄疫の陽性が判明した。

口蹄疫に感染した疑いのある牛の口内(宮崎県提供)

 口蹄疫は、口蹄疫ウイルスが牛や豚、ヤギなど「偶蹄類(ぐうているい)」と呼ばれる動物に感染して起きる病気で、口の中やひづめの付け根などに水疱(すいほう)ができるほか、発熱や食欲不振といった症状が現れる。ウイルスは空気感染し伝播力が非常に強いため、国の指針では、発生した農場の家畜は全て殺処分して埋却され近隣農場でも家畜の移動が制限される。感染した家畜に触れたり肉を食べたりしても、人に影響はない。

 山川さんは当時、鹿児島市の動物衛生研究所九州支所に勤務していた。「陽性の知らせに血の気が引いた。信じたくない気持ちだったが、一刻も早く対処しないと大変なことになると思った」

10年前の宮崎県の口蹄疫を振り返る山川睦さん

 発生数日後に宮崎県庁へ入り、技術支援を担った。農林水産省や農研機構の職員が多数応援に動員されてきたが、「感染拡大のスピードが速く、人員や資機材の確保が追いつかない。現実が想定をはるかに超えていて、時間がない中で難しい判断を何度も迫られた」。殺処分した家畜は本来なら敷地内に埋却する必要があるが、場所の確保が追いつかず、消毒を徹底し感染を広げにくいルートを探した上でやむなく外部へ移送したしたこともあった。

 殺処分の現場は忘れられない。「家畜の鳴き声や作業を指示する人の声、重機の音が交錯して騒然としていた。水分を補給しながら防護服で動き回ったが、飲んだ分だけ汗になって出ていってしまうので、長時間トイレに行かなかった。1日が終わると、心も体もどっと疲れた」

 ▽未曽有の大災害

 押さえ込めたと思っても別の地域に飛び火する繰り返し。「ウイルスという見えない敵があざ笑っているようだった」。8月の終息宣言までに、感染確認は県内11市町に拡大。県職員や獣医師、自衛隊や警察などのべ約16万人が殺処分や消毒といった防疫作業に従事した。

殺処分された牛の埋却作業=2010年6月、宮崎県都城市

 感染疑いなども含め殺処分した牛や豚などは約30万頭。「数字で語るのは簡単だが、体格の大きな動物を大量に処分する作業がどれほど大変か想像してほしい。手塩にかけて家畜を育ててきた農家の人たちにはかける言葉がなかった。作業に当たった人が精神的に疲弊しないかも不安だった」

 地元の観光業への打撃や宮崎県産牛肉への風評被害など影響は多岐にわたり、国内の畜産史における未曽有の大災害として記憶に刻まれた。

 ▽風化

 あれから10年。山川さんは「恐れているのは記憶が風化し、伝染病への警戒感が次第に薄れてしまうことだ」と語る。国内での口蹄疫の感染はその後確認されていないが、19年には韓国で牛の感染が確認されるなど、周辺国での発生は近年も相次いでいる。現場の農家の人たちには、「動物の様子が少しでもおかしければ、ちゅうちょせず家畜保健衛生所に通報してほしい」と伝えたい。

 人にとっては無害でも、衣服や靴に付着したウイルスを人がまき散らして感染を拡大させる恐れはある。大切なのは、牛豚舎への立ち入り制限や施設の衛生管理といった日ごろの対策だ。

牛を目視検査する獣医師

 また、家畜の検査や農家への衛生指導に従事する公務員獣医師の慢性的な不足も課題だ。農水省によると、国内の獣医師数は18年時点で約3万9700人。犬や猫などペットの獣医師が約1万5800人で全体の約40%を占める。一方、家畜の伝染病予防や公衆衛生を担う公務員獣医師は8800人余りで全体の約22%だ。

 国は、獣医師を志す学生への支援や女性獣医師の離職を減らす取り組みを急ぐ。若手を育てる立場の山川さんは「ペットを診る獣医師に比べ、地味でハードな公務員獣医師は確かに不人気。しかし、人や物の行き来の活発化でウイルスが国内に入り込む恐れが増しており、人材はますます必要だ」と訴える。

 ▽アフリカ豚熱も

 18年12月、日本ハムや富士フイルムと共同で口蹄疫の簡易診断キットを開発した。口や鼻の病変部を用い、約20分で簡易的な判定ができる。感染疑いの検体は、小平市の施設に運んで遺伝子検査する決まりになっており、判定に一定時間が必要だが、キットによって、簡易的ではあるが現場で判定が可能となった。迅速な初動対応につながることが期待され、昨年12月から各地の家畜保健衛生所が導入している。

口蹄疫の簡易診断キット(日本ハム提供)

 国内では、豚やイノシシに感染する豚熱(CSF)の確認が相次ぐほか、韓国や中国で確認され「日本に来るのも時間の問題」(農水省関係者)とも言われる致死率の高いアフリカ豚熱(ASF)も懸念されている、特にASFにはワクチンがなく、発生した場合に甚大な影響が懸念される。

 空港や港での水際の監視や、万一ウイルスが持ち込まれてしまっても家畜に近づけない衛生管理など、基本的な対策はどの病気でも同じだ。「家畜は人間においしく食べてもらうために生きている。食べてもらえずに殺処分される家畜は少しでも減らしたい」。10年前の教訓を胸に、より高度な診断方法やワクチンの開発に打ち込んでいる。

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