「仕事を失ってもOK」 ボットー獲得に全力を注いだ男たち

メジャーリーグのファンであればジョーイ・ボットー(レッズ)の名を知らない者はいないだろう。2008年に新人王投票で2位となり、2010年には打率.324、37本塁打、OPS1.024の好成績でMVPを受賞。最高級の選球眼を武器にリーグ最高出塁率を7回マークし、メジャーリーグ公式サイトによると通算出塁率.421は歴代14位の数字となっている。このボットーを2002年のドラフトで指名するために全力を注いだ男たちがいた。

トロント出身のボットーは、2002年のドラフトにおいて決して注目された存在ではなかった。レッズがボットーを見つけたのは、当時のスカウト部長であるケーシー・マッキーンが甥の試合を見るためにフロリダ州ジュピターで行われた大会を訪れたことがきっかけ。ボットーを見ることが目的ではなかった。しかし、マッキーンはボットーの打撃の才能に心を奪われ、このカナダ人高校生を追い続けることを決めた。

ボットーに関する情報が他球団へ流出することを懸念し、ボットーの調査は信頼できる一部のスカウトのみで行われ、当時のジム・ボウデンGMがボットーの存在を知ったのもドラフト直前のことだった。ボットーはドラフト前のワークアウトでプレーする機会を得たが、ボウデンは「レッズのスカウト陣が彼を見つけたのは素晴らしかった。でも、彼がワークアウトに参加していなかったら、彼を指名することはなかっただろう。ドラフト直前まで彼のことを知らなかったのだから」と当時を振り返っている。

ボットーの打撃の才能は、レッズのドラフト候補選手のなかでも群を抜いていた。結局、ヤンキースが2巡目(全体71位)でボットーを指名する予定だという情報を得たレッズは、2巡目(全体44位)でボットーを指名。ボットー自身は、スカウトからの接触がほとんどなかったレッズではなく、ヤンキースに指名される可能性が高いと考えていたようだ。

球団のルールを無視してボットーの調査を続けたスカウトたちのなかには、ボットーのプロ1年目が終わる前にチームを追われた者もいた。しかし、当時のスカウティング・アシスタントであるポール・ピアソンは「自分が仕事を失ってもボットーを獲得できるならOKだと思っていた」と語り、東海岸担当のクロスチェッカーだったビル・シェラーも「僕たちが手掛けた最後のドラフトでボットーを獲得できたことに満足している」と当時を振り返る。

レッズの主砲・ボットーは、「自分の仕事を犠牲にしてでも最高の選手を手に入れる」というスカウトたちのプライドの産物なのだ。

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