祈る島原 教訓次世代へ 雲仙・普賢岳大火砕流29年

218本のろうそくに明かりをともした追悼行事「いのりの灯(ともしび)」。鎮魂の祈りをささげた=午後7時38分、島原市の雲仙岳災害記念館

 雲仙・普賢岳噴火災害で消防団員や住民、警察官、報道関係者ら43人が犠牲になった1991年6月3日の大火砕流から29年を迎えた「いのりの日」の3日、遺族や市民らが長崎県島原市内の献花所で追悼の祈りをささげ、噴火災害の継承と防災への誓いを新たにした。
 火砕流で大きな被害を受けた安中地区の住民が集団移転した仁田町の仁田団地第一公園では、犠牲者名が刻まれた追悼碑前に、市が献花所を設置。会場は新型コロナウイルスの感染防止に配慮。「3密」を回避する目的で参加者の献花時間を分散させたほか、記帳時の検温やアルコール消毒液を置くなどの対策を取った。当時、消防団員だった古川隆三郎市長は「この災害の教訓を、特に子どもたちを含む未来ある方々へ引き継いでいかなければならない」と力を込めた。
 市消防団員らは平成町の消防殉職者慰霊碑に花を手向けた。本田庄一郎団長は取材に「災害の風化が懸念されている。当時を知るわれわれが、若い団員に伝承することが使命と感じている」と語った。
 大火砕流が発生した午後4時8分、市内全域にサイレンが鳴り響き、市民らが黙とうをささげた。消防団員の詰め所だった北上木場町の北上木場農業研修所跡では慰霊の鐘が鳴らされ、遺族らが「平成新山」に向かって静かに目を閉じた。報道陣の撮影拠点だった「定点」でも、遺族らが手を合わせる姿が見られた。
 平成町の雲仙岳災害記念館では追悼行事「いのりの灯(ともしび)」があった。島原半島の小中学生が絵やメッセージを添えたろうそく218本に点灯。大火砕流が発生した「6.3」の明かりが浮かび、犠牲者の冥福を祈った。
 新型コロナの感染拡大を防ぐため、追悼行事前に例年実施する学校訪問での講話やろうそく作りのほか、当日の式典やコンサートを中止するなど今年は規模を縮小した。

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