『雪と心臓』生馬直樹著 平凡を生きる、という奇跡

 読み手を大きく揺さぶる一冊だ。物語は、ショッキングな風景から始まる。住宅を焼き尽くす火事の描写だ。家の中にひとり取り残された少女を、通りすがりの男が救い出す。両腕で少女を抱き上げた男は、しかしそのまま、母親の手に少女を返すことなく、自分の車に乗せて走り出す。警察とカーチェイスを繰り広げた男の車は、やがて照明灯に衝突して横転するのだった――。

 プロローグがそんなふうだから、読み手は思う。ここから、その男が、なぜそんな行動に出たのか、その理由が語られるのだと。しかしそこからすべりだすのは、一人の少年と、彼の双子の姉の成長譚である。小学生の頃、熱中したゲーム。中学でのバンド活動。ちょっとした恋心、そして人生全体にまとわりつく、優越感と劣等感。ひとつひとつについて繊細に悩む少年は、一匹狼のように誰とも群れない姉に対して、嫉妬のような気持ちを抱えている。

 それぞれの章も、まずは信じがたい風景描写から始まる。少年の友だちによる、衝撃的な告白とか。地元の不良グループに、ぼっこぼこにされている主人公の姿とか。そこから、なぜそのような事態に陥ったのかが、丁寧に語られる。大人から見ると他愛ない、でも本人にしてみたら大問題の悩み事の数々。私たちはただただ、青春小説として、そのリズムに身を任せるばかりだ。10代ならではの滑稽な悩みや、微笑ましい出来事に、目を細めながら読み進める。しかしどう考えても、どうやって冒頭の火事の場面に行き着くのかがわからない。でも、登場人物たちはどの子も可愛い。とるにたらないあれこれに、迷ったり悩んだり、笑ったりぶつかったり。そう、ほんとに普通の、誰もが身に覚えがある、愛おしい「青春」がそこにある。

 そして、最終章。思ってもみなかった形で、冒頭の場面に私たちは行き着く。青春ものだしミステリーだしファンタジーである。この、エンタメ盛りだくさんの一冊について、多く語ることは限りなく野暮だ。とるにたらない人生こそが、宝物なのだと知らせてくれる一冊である。

(集英社 1500円+税)=小川志津子

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