横田めぐみさんの父、滋さん死去 北朝鮮拉致問題 運動の先頭 期待と失望繰り返し

めぐみさんの幼いころの写真を見ながら、笑顔で思い出を語る横田早紀江さんと滋さん(右)=2017年12月、川崎市の自宅マンション

◆「会いたい」最期まで―

 北朝鮮に拉致された横田めぐみさん=失踪当時(13)=の父滋さん(87)=川崎市川崎区=が5日、最愛の娘との再会を果たせぬまま息を引き取った。「めぐみちゃん」が奪われてから43年。拉致被害者家族会の初代代表を務めるなど、妻早紀江さん(84)と二人三脚で救出運動の先頭に立ち続けた。政治に翻弄(ほんろう)され、期待と失望を繰り返しながらも、13歳の少女のまま心に残るめぐみさんの姿に希望を抱き続けてきた。

 「これからおしゃれに気を付けてね」

 1977年、滋さんが45歳となった誕生日、めぐみさんは小遣いで買ったくしをプレゼントした。失踪はその翌日だった。滋さんは「いつかふと戻ってこないか」と胸に秘めながら、くしを懐に収めていた。

 拉致から四半世紀となった2002年9月には、「信じることができない」。小泉純一郎首相(当時)による「電撃訪朝」で北朝鮮がめぐみさんを「死亡」と伝えると、記者会見であふれ出す涙を必死にこらえながら振り絞った。「生きていることを信じ続けて闘います」

 その言葉通り、運動の先頭に立ち続けた。象徴的存在として全国各地を飛び回って講演を重ね、一日も早い解決を訴えた。娘に会えない日々に苦しみながらも、穏やかな表情で早期解決への協力を求め続けた。

 しかし、事態は一向に進展しない。めぐみさんの拉致から40年となった17年、早紀江さんらはトランプ米大統領と面会。熱心に耳を傾ける姿に手応えを口にする家族もいたが、未解決のまま時間だけが過ぎた。

 一方で14年には、北朝鮮で生まれためぐみさんの娘キム・ウンギョンさんとモンゴルで対面。ひ孫を抱くこともでき、つかの間の安らぎを得た。

 だが、体力の衰えとともに集会などに参加することもなくなった。それでもビデオメッセージなどを通じて「めぐみちゃんに会いたい」と語り、最後まで望みを持ち続けた。

 滋さんと早紀江さん夫妻は1990年ごろから、滋さんの定年退職後を見据え、川崎市内のマンションで暮らしていた。

© 株式会社神奈川新聞社