卓球とプログラミングと英語と森薗美月(後編)

写真:森薗美月/提供:琉球アスティーダ

沖縄の新居で新婚生活を始めつつ、プロ卓球選手・森薗美月は、人と接触の少ない早朝に卓球の練習を行い、午後からは自宅でプログラミングと英語の勉強に勤しむ。

プログラミングと、英語?

それはなぜなのだろうか。沖縄の森薗美月に、オンラインで取材した。

プログラミングを始めた理由は「20年後仕事ない」

写真:森薗美月/提供:琉球アスティーダ

「小学校1年生くらいからプログラミングと英語の授業を必須科目にするというニュースを見たときに、もし20年後、自分がプログラミングも英語も全くできない人間だったら仕事ないなと思ったんです」。

セカンドキャリアへの模索もまた、社会の中で自分をどう表現するかという、森薗美月らしい視点から始まる。

一般的に卓球選手は、という考えはないのだ。

「将来的に、プログラミングをわかった上でこうじゃないって提案はできるかもしれないけど、わかってもないのに、あーだこーだ言ってたらそれこそ嫌な大人じゃないですか。それをふわっと考えたときに、プログラミング勉強できるのかなって」。

ただ、それまで、パソコンに詳しいわけでもなく、むしろ機械が苦手分野だという。手応えはどうなのだろうか。

「きついです。今JavaScriptやってて、もうさっぱりわかんなくて。ひたすら問題を解いてます。なんでそれをやったらそれが動くのか理解できないから、できるとこまでやらないとっていう感じです。なんとなくHPはグリッドレイアウトを使ってできるようにはなってきたんですけど。いろいろまだ勉強中です」。

「幼稚園の英語やってます」

英語についてはどうだろう。国際大会などの経験から、それなりに話せたりするのだろうか。

「英語は、基礎がなくて毎回泣きそうです。中学校でちゃんとやってなかったので、わかんないんですよ。立ち方わからないのに走り方必死に教えられてるみたいな。というわけで今、幼稚園の英語をやってます」。

「でも、続けるしかないんですよね。夫がイギリスと日本のハーフで、英語ペラペラなので」

どこまでも挑戦する環境に身を置き、進歩を糧にする人間だ。

卓球はどうなのか

写真:森薗美月/提供:琉球アスティーダ

でも、だ。彼女はプロ卓球選手だ。生き方や自己表現を変えたからと言って、卓球そのものがうまく行くわけではない。

自己表現の変化がプレーに与えた影響を聞くと、森薗美月自身もこう語った。

「特に変化はないです。ただ、自分の思いを表現するようになっただけなので」。

事実、現時点では失ってしまった国際大会出場資格を取り戻すことを最優先に、次の冬の選考会に向けてまた練習プランを組み立てている。その最中にコロナ禍がやってきた。

「本当だったら今はいっぱい大会も出て成績少しでも伸ばして、という時期ですけど、それは今(コロナウィルスの影響で)無理なので考えても仕方ない。焦らずに今しかできないことをやろうぜと思ってます」。

余裕なんていつでもない

写真:森薗美月/提供:琉球アスティーダ

少し精神的に余裕ができたということなのか。そう聞くと、一笑した。

「余裕なんていつでもないですよ。くよくよして余計なことに目がいかなくなっただけです。やることがいっぱいあって、自分がやりたいと思ったことを実行させてもらえる環境にあるから」。

そして、噛み締めるように付け加えた。「負けず嫌いなのも変わってないです」。

プロとは自分を打ち出し、影響を与えること

強いですね。小さく感想を呟くと、違うんだという風に首を振る。

「私がやっていることが、絶対的にみんなにいいことではない、というのはわかってるんです。でも、もっと自由にやりたいとか、別の違うところに行きたいとか、今の状況に対して少しでも疑問を持ってる子たちに対しての、一つのお手本になれればいいかなという気持ちです」

写真:森薗美月/提供:琉球アスティーダ

プロ卓球選手になったから変わったのではなかった。

プロになってもがく日々の中で出会った人間たちが、自らの表現方法を教えてくれた。

「普通」を知らないのではなく、今でも「普通」に引っ張られながら、でも自分らしさを選んでいくのだ。

「生まれだって、育ちだって、考え方だって全然違うし、それなのに同じようにしろというのは困ると思うんです。プロは自分という人間像を出していって、結果としてそれがいろんな人に影響して、それが良しとされる場合もあるし、ダメとされる場合もある。でも、どっちだとしても影響すればそれはプロなのかなと思います」。

写真:森薗美月/提供:琉球アスティーダ

今季、森薗美月はどんな姿を見せてくれるのだろう。

日本で一番最初に梅雨が明ける沖縄。

南風を受けて躍動する森薗美月の姿が、変化の波に揉まれながら立ち上がる私たちを先導するように見えた。

取材・文:ラリーズ編集長 槌谷昭人

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