「全身全霊、頑張った」 横田滋さん死去で遺族会見 めぐみさんの写真ひつぎに

5日に亡くなった横田滋さんについて話す妻の早紀江さん=9日午後、東京都千代田区の衆院第1議員会館

 北朝鮮に拉致された横田めぐみさん=失踪当時(13)=の父横田滋さんが5日に87歳で亡くなったことを受け、妻の早紀江さん(84)ら家族が9日、東京都内で会見した。早紀江さんは「二人三脚で頑張ってきた。夫はもう思い残すことがないほど、全身全霊で打ち込んだ」と語り、最愛の長女との再会を切に願い、長きにわたって救出活動の先頭に立ち続けた夫をたたえた。

 滋さんは2年前から、川崎市内の病院に入院。病床での様子を、早紀江さんは「長い闘病生活だったが、いつも穏やかな笑顔を見せてくれた。痛いとか苦しいとか、弱音や愚痴は言わなかった」と振り返った。

 新型コロナウイルス感染症の影響で、面会できない時期もあった。早紀江さんは自宅のベランダで育てたバラをスケッチし、「もうここまで咲きました。みんないつもお父さんと一緒だよ」と記した手紙を添えて看護師に渡した。

 早紀江さんは滋さんの最期についても明かした。

 「お父さん、気持ちよく眠ってください。私がそっちに行く時まで、忘れないで待っていてね」。耳元で大きな声でそう語り掛けると、滋さんは右目にうっすらと涙を浮かべ、眠るように息を引き取ったという。

 息子の拓也さん(51)、哲也さん(51)の2人にとっても、「いつもにこにこしていて優しい父親だった」(哲也さん)。ただ優しさの奥に、必ず長女を取り戻すという強い信念を感じてもいた。

 「少しは休んだら?」

 講演のため全国各地を飛び回る父を心配し、拓也さんは何度もそう提案したが、返ってくる答えはいつも同じだった。「それはできない。行くんだ」。家族がそろう日を夢見て、最後まで走り続けた父親だった。

 8日に川崎市内の教会で執り行われた葬儀。ひつぎには滋さんが大好きだった日本酒と、めぐみさんの写真を納めた。写真は胸の上に、抱きかかえるように置いたという。

 「めぐみには会えなかったけど、必ず取り返すからね」。夫をそう送り出した早紀江さんは続けた。「朴訥ぼくとつで、器用ではなかったが、本当に強い人だった。最後は安らかに、静かな顔で天国に行きました」

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