<いまを生きる 長崎コロナ禍> 「恩返しの料理 作り届ける」フランス料理人 上柿元勝さん

 人からいただいた以上、返さなきゃいけない。取材中、恩返しという言葉を何度も口にした。新型コロナウイルスにより一変した日常で、フランス料理人、上柿元勝さん(69)=佐世保市在住=は「生」の原点を見つめ直している。
 「できる人が、できることを、できる範囲でやればいい。世の中にできないことはない。そんな気がするんですよね」

医療従事者へ

 5月下旬から長崎市の病院で働く医療従事者に計840食分の料理を贈り続けている。新型コロナ医療の最前線に立つ人たちへの敬意と感謝。食べて笑ってくれれば、それだけでいい。自分の店の心配より、食で人に喜んでもらう。「料理人としてのプライドかな」。目には力と優しさが宿っていた。

「食べて笑顔になってくれることが何より」と話す上柿元さん=長崎市茂里町、パティスリーカミーユ(撮影のためマスクを外しています)

 鹿児島県の田舎町で育った。故郷に伝わるこんな言葉がある。「泣こかい、跳ぼかい、泣こよっか、ひっ跳べ」(泣こうか、跳ぼうか、泣くより、跳んでしまえ)。困難に出会ったら、いろいろ迷わず、ひとまず動け、そんな意味だという。そう生きてきた。
 本物の味を求め、24歳で単身渡仏。フランス語が話せず、やっとの思いで見つけた修業の店で同僚にいじめられた。金もなく、栄養失調になりかけていたとき、フランス人の先輩に救われた。自宅に招かれると、テーブルの上には食べたことのない家庭料理。心も体も満たしてくれる味だった。恩を返す。それを胸に深く刻む経験だった。
 その後の活躍が認められ、フランスから勲章をもらい、日本でも褒章を受けた。舞台が世界に広がったのも周りの人たちのおかげ。だから、思う。「返さなきゃ」と。東日本大震災の時も、熊本地震の時も、被災地で炊き出しをした。

「近くの店で」

 新型コロナの影響を受け、長崎県内外で自身が関わる店も含め、街中の飲食店は苦境にあえぐ。各店がテークアウトを始めるなど、生き残りへ新たな営業形態を模索している。
 苦しいのは食材を納入する生産者も同じだ。長崎の医療従事者に料理を贈る際、売り上げが落ちている精肉店から長崎和牛を仕入れた。その精肉店は一部を伝票なしの無料で納入してくれた。農産物直売所の客が減り、出品する農家が困っていると聞く。それならばと連日、佐世保から長崎までの通勤途中に立ち寄り、袋いっぱいの野菜を購入。生産者らの笑顔に元気をもらっている。
 上柿元さんは両手の人さし指を重ね、言った。「誰も1人では生きていけない。『人』は支え合っているでしょ、ほら」
 「世の中にできないことはない」という。真意を聞くと「できることを探せばいい」。例えば、近くの八百屋で野菜を買う。近くの店でご飯を食べる。「誰かじゃなく、今は全員で意識を変えていかなければ」。非日常の生活が、県産品や地域の店を見直す機会にもつながってほしいと願う。
 いただきます-。その言葉には、作ってくれた人、生産者、そして動植物の生命への感謝も込められている。「人間は地球をお借りして生活していることを忘れてはいけない。私はこれからもこの二つの手で、素晴らしい食材を使い、人を幸せにしていく」。食べることは生きること。コロナ禍の中、自然の恵みに感謝しつつ、その当たり前をかみしめる。

【略歴】かみかきもと・まさる 1970年、20歳で大阪の調理師学校に入学し、74年に渡仏。フランス料理界の巨匠、アラン・シャペル氏(故人)に師事した。91年にハウステンボスホテルズ総料理長、ホテルヨーロッパ総支配人を経て、現在は長崎市茂里町の「パティスリーカミーユ」オーナーシェフ。県観光マイスター。

 


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