銀色夏生、作詞家としての活動は僅か数年
2010年11月5日、晴れわたる秋晴れの日。私は銀色夏生さんの自宅で銀色さんと向き合っていた。
私が銀色夏生という存在を知ったきかっけ、それは一冊の詩集。すでに作詞家を辞めて詩人や文筆家として本の世界へ舵を切っていた頃だった。銀色さんの本を開くと、そこには必ず、その時々に自分が欲している言葉が在った。その言葉たちを拾い集めてはそっと心の引き出しに仕舞う。そうして集めた銀色さんの言葉は今も私の大切な宝物だ。
作詞家として活躍した80年代。沢田研二 「晴れのちBLUE BOY」、小泉今日子 「サーチライト」、松田聖子 「Vacancy」など挙げたらきりがないほど。実際に作詞家として活動した時期はほんの数年だったのに、残されている曲の多さに驚かされる。
セピア色の名曲、大沢誉志幸「そして僕は途方に暮れる」
作詞家・銀色夏生と聞いて一番に浮かぶのは、大沢誉志幸の「そして僕は途方に暮れる」だろう。
ひとつ残らず君を悲しませないものを
君の世界のすべてにすればいい
そして僕は途方に暮れる
実はこの名フレーズは当初、「そして “君” は途方に暮れる」だったという。そのエピソードが著書『銀色夏生 その瞳の奥にある自由』に記されている。“君” だとストレートすぎる… という理由から “僕” へと変更したのだとか。この修正によって聴き手の想像はよりかきたてられ、曲に奥行きが生まれたように感じる。
大沢のハスキーボイスと美しいメロディー、そして銀色夏生の歌詞が相まって、この世にあるすべてのせつなさが詰まったようなセピア色の名曲は生まれた。
詩の世界に漂う “せつなさ” はどこから?
どんなポップな曲の歌詞でも、明るいタッチの言葉でも、銀色夏生の世界には、どこか “せつなさ” が漂う。そのせつなさは一体どこから来るのだろうとずっと考えてきた。銀色夏生の作詞はもちろん、詩集など多くの作品に触れてきたが、その答えは、“人が生まれながらに抱える孤独” にあるのではないかと私は勝手に想像している。
たとえば、小泉今日子の「あなたになりたい」のフレーズには、
あなたの恋人になれないのなら
せめてあなたに
あなたになりたい
また、2010年に自らレーベルを立ち上げて音楽活動に取り組んだ時の銀色プレゼンツによる「アイスコーヒー」という曲の一節には、
愛しているからって
君のものにはなれないよ
どんな人も君のものじゃない
自由なはずだ
どちらの歌詞も、どんなに人を愛しても、自分以外にはなれないという、どうにもならない人間の究極のせつなさが、淡々とした言葉で綴られている。
孤独と自由は表裏一体、そこから繋がる明日への希望
恋をした時、結婚した時、子どもをもった時… どんなに狂おしいほど人を愛しても、その人にはなれない。だから人は自分以外の誰かを自分の自由になんてできない。そんなもどかしさに私たちは時に苦しみ、傷つき、痛みを負う。そのどうしようもできない人間の持つ “孤独” が、銀色夏生の言葉の世界には常に流れているように思う。
しかし、だからといって銀色夏生は孤独をネガティブなものとは捉えていない。孤独だからこそ、自由を手にできることを知っているからではないだろうか。また、孤独と自由は表裏一体ならば、すでに私たちは自由を手にしているともいえるだろう。そんな孤独としっかりと向き合い、それを受け入れた時、目の前には新しい扉が待っていて、明日への希望へと繋がっている… 銀色夏生の言葉たちは、そんなことを私たちに語りかけているように思えてならない。
「そして僕は途方に暮れる」の僕も、そして君も、「あなたになりたい」と願う女性も、「アイスコーヒー」の中で自由を口にする彼も、みんなそれぞれの孤独を引き受けて、新しい場所へと歩いていくだろう。
孤独とは寂しいだけのものではない…
話を冒頭に戻す。あまり表に出ない銀色さんからツイッターで声をかけられ、インタビューの機会をいただいたことはまさに奇跡だった。銀色さんの澄んだ瞳と荘厳な空気に吸い込まれそうになったことを今もはっきりと覚えている。
銀色さんは私の質問に答えながらも時折、ぽんと私に質問を投げかけてくる。そんなやり取りを重ねるうちに、なぜだろう… 銀色さんに質問をしているはずなのに、自分が自分の心を覗き込み、自分と対峙しているようななんだかとても不思議な感覚に陥る瞬間があった。
そもそも私が取材に呼ばれたことにも、もっと別の意味があったのではないかとすら思えてくるほどスピリチュアルで不思議な時間だった。取材終わりにカメラマンが「取材中、あまりに神々しい雰囲気で二人に近づけませんでした」とつぶやいた。
銀色プレゼンツの「夕空」の一節
会えないことは
決して悲しいことじゃないと
あなたが遠くから言ってるように思う
いつだって銀色夏生の言葉は、孤独とは寂しいだけのものではなく、その先にある希望を私たちに投げかけている。
カタリベ: 村上あやの