巨人“育成の星”沼田翔平は「上半身が強い」 恩師が語る理想形は元中日浅尾

巨人・沼田翔平【写真:荒川祐史】

旭川大高時代の山本博幸部長が明かす沼田の原点

巨人の沼田翔平投手が5月31日に支配選手登録された。18年育成ドラフト3位で入団してスピード出世を果たした19歳の原点を探るため、旭川神居中、旭川大高時代の恩師に話を聞いた。3回に分けてお届けする。最終回は旭川大高時代の山本博幸部長。

沼田の公称サイズは175センチ、65キロとプロ野球投手としては小柄で細身だ。それでもキレのあるボール投げることができる原点は高校時代にある。投手を指導する山本部長が重視するのは、体重や筋肉量ではなく、柔軟性と正しい体の使い方だ。

國學院大時代のトレーニングコーチとともに自ら実践してたどり着いた指導法で、直すのはフォームではなく、走り方だという。「頭の位置や骨盤の位置などを確認しながら走り方、止まり方を練習します。体を正しく使えたら、ピッチングも良くなるし、ヒョロヒョロでもスピードは出ます」と説明する。実際、沼田の同学年には最速140キロ超の投手が4人もいた。

山本部長が初めて沼田を見たのは、中学2年の時。背番号「5」をつけてマウンドに立つ小柄な右腕の投球に魅せられた。「きちんとスコアをつけていませんでしたが、たぶん一人もランナーを出していない。完全試合だったと思います。体は細いけど、抜群に速い球を投げていました」と振り返る。

旭川大高・端場雅治監督(左)と山本博幸部長【写真:石川加奈子】

走り方に気をかける「走っている様がひどかったので、直した方がいいという話はしました」

高校でもバネの強さは際立っていたが、体力測定で驚くほどの数値を出していた訳ではない。それでも最速146キロを叩き出した要因について山本部長は「投げる上手さがあった」と体の使い方に優れていた点を挙げる。同時に、練習に取り組む姿勢にも一目置いていた。「やっていること、取り組み方を見ていれば、エースはこいつしかないという雰囲気になる。背番号1の責任を背負ってやっていました」と語る。

フォームに関してはあまり口を出さなかったという。「上半身が強いので、下を使えるようになればいいと思っていましたが、今もあの投げ方。理想の動きではないけれど、あの世界でやっているということは、それがあいつに合っていることの証明」と実感している。理想像としてヤンキースの田中やカブスのダルビッシュのように下半身の粘りで投げるフォームをイメージしたこともあったが、今は上体の強さを生かす元中日の浅尾(現2軍投手コーチ)を沼田の理想型と考えている。

プロ入り後も沼田の走る姿を気にかけている。「走っている様がひどかったので、直した方がいいという話はしました。若いのでまだ体得していない。これには終わりがなくて、どんどん積み重ねていくものなんです。走り方が悪いと、ピッチングも崩れて悪い方にいく」と昨オフの帰省時に助言したことを明かした。

沼田にプロで生き残る術を説いたのも山本部長だ。「150キロ出すことにこだわる選手なら役に立たないぞ。プロの商売は勝つこと」と言って送り出した。「大学で4年間やってからプロを考えるものと思っていました」と打ち明ける山本部長。「3、4年はかかると思っていたので、いい意味で裏切ってくれました。満員の東京ドームで先発するところを見たいですが、毎日同じボールを投げられるのなら9回もいいですね」と教え子の活躍に思いを馳せた。(石川加奈子 / Kanako Ishikawa)

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