雲仙・普賢岳大火砕流 「定点」周辺 保存整備へ

野ざらしのまま放置されている報道関係者の車=島原市北上木場町

 消防団員や住民ら43人の死者・行方不明者が出た1991年6月3日の雲仙・普賢岳大火砕流惨事から来年30年を迎えるのを機に、長崎県島原市の安中地区町内会連絡協議会が15日、報道陣らが犠牲となった同市北上木場町の「定点」周辺の保存整備を検討していると明らかにした。具体的な着工や整備内容などは未定だが、来年6月3日までの完成を目指したいとしている。
 噴火で形成された溶岩ドーム(平成新山)先端から約3.5キロの地点にある定点は、大火砕流発生時まで報道陣が集まっていた撮影拠点。その約350メートル海側にある北上木場農業研修所跡では、警戒活動に当たっていた消防団員や警察官が火砕流の犠牲になった。
 同研修所跡には、噴火災害で甚大な被害を受けた安中地区の住民らが、犠牲者を慰霊する地蔵や消防団員らの氏名が刻まれた石碑などを設置。火山灰の下から収容された消防車やパトカーなども屋根とガラスに覆われた小屋に安置されている。
 一方の定点には、位置を確認できる三角すいの白い標柱が立つだけ。遺族の中には、当時の行きすぎた一部報道活動に対し「消防団員が亡くなったのは避難勧告地域の中で取材を続けていたマスコミのせい」との思いがあると指摘される。
 「定点に碑を作りたい」との報道陣の遺族らからの願いもあるが、マスコミに対する住民の複雑な感情も相まって、これまで実現に至っていない。報道関係者の車やタクシーが周辺に野ざらしのまま残されている。
 同協議会によると、「いのりの日」に定点でも手を合わせる消防団員の遺族らの姿が見られるなど、近年は状況が変わりつつあるという。阿南達也会長(82)は「地域とマスコミが共に噴火災害を語り継ぎ、今後の防災を考える場所にできれば」と話す。

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