在宅勤務に関して保護者の間でも隙間風、今後も残る働き方の課題

緊急事態宣言が解除され「新しい生活様式」のもと、日常が徐々に再開しています。当面はコロナとの共存が求められるなか、テレワークやリモートワークを継続したり、またこの機に業務の仕組みを効率化したりといった企業もあります。

そんななか「在宅勤務のできる・できない」などをめぐって、子育て中の保護者同士が対立するといったことが起きています。実例を挙げながらお伝えします。


保育園のグループラインで自分の悪口が

出版社勤務のAさん(女性)は、小学校低学年と未就学児の2人の子どもを育てています。3月に小学校が臨時休校になるとともに在宅勤務となりました。未就学児の子どもを預けている保育園は、当初預かりに関して制限などはなかったため、通常どおり預けていました。

しかし送迎時に、在宅勤務ではない保護者たちから厳しい目を向けられるのを感じたといいます。ほかの保護者から言われた「Aさんはいいよね。家で仕事ができるなんて羨ましいよ」という言葉に棘があるのを感じたこともあったといいます。

「在宅なら、子どもを見ながら仕事できるんじゃないの?という声があるのはわかります。時短勤務や時差出勤の家庭の子どもは、保育時間もそれに合わせて短縮しているのに、なぜ私は在宅勤務なのに預けているのか、ズルいとも思われていたのでしょう。私も自分が在宅勤務になるまで、フリーランスで自宅と事務所を兼ねてお仕事をされているご家庭のことを、おなじように思っていました。でもやってみてわかったんです。子どもがいるなかで仕事をするなんて無理だって。小学校低学年の上の子だけでも仕事にならなくてつらくて、せめて下の子だけでも預けて少しでも仕事が捗るようにしないと、業務上、同僚や上司に迷惑をかけてしまう。業務の遅れが続けば評価に響くし、人間関係も会社にいづらくなります。また会社の業績がコロナの影響で厳しいなか、人員削減の対象にでもなったら…」

そんなAさんにとって決定打となったのは、ある日、保育園のママさんグループのLINEへ届いた一通のメッセージでした。スマホの通知画面へ表示されたのは"家にいて家事も子育てもしながら働けるヤツはいいよね。こっちはそんなことできないから預けてんのにさ。不公平感満載"。

それを見たAさんは、指先が冷たくなっていくのを感じました。誰のことを指したとは書かれてはいなかったものの、状況からするとAさんのことであるのは明白でした。ほどなくして“⚪︎⚪︎がメッセージの送信を取り消しました”と表示されメッセージは消えました。しかし一度目にしてしまった自分への陰口は脳裏から離れません。

それと同時に、メッセージが送信の取り消しをされたこと、またLINEグループの会話の流れとはまったく異なる内容だったことから、自分を除いた保育園のママ友のLINEグループが作られていて、そこで陰口を叩かれていることを覚ったといいます。取り消されたメッセージは、おそらく誤ってAさんも入っているグループLINEへ送信されたのだろうと。

それを境にAさんは登園を控えることとしました。その後、緊急事態宣言を境に、保育園側も在宅勤務の可能な家庭や、医療関係者や生活インフラなどに携わる家庭の子どもは登園自粛するようとの方針となり、やがて休園しました。

"子どもが仕事か"の二択ではない

6月からは感染対策を講じた上での保育体制に戻りました。Aさんの会社は当面は出勤する日と在宅勤務とを併用していくといいます。保育園は、在宅勤務の可能な家庭の子どもも含め、預かり可能となっています。

「でも、もう怖いです。送迎のときにほかの保護者のかたに会っても、影でいろいろと言われていると思うと…。人間不信というか、ほかの保護者のかたと顔を合わせるのが怖くて。在宅勤務の日には遅めに登園させて、早めに迎えに行っています。でもそれも限界があります。出勤する日もありますし、やがて通常勤務に戻ったときにはほかの保護者のかたを避け続けられるわけでもありません」

ほかにも在宅勤務のつらさを訴える保護者へ「子どもと仕事とどちらが大事なのだ」「テレワークやリモートワークができるのにつらいなんて贅沢。ずるい」「(保育園や学童に)預けるな」という批判も聞かれました。

しかし子育てに安定した経済基盤は必要不可欠です。"子どもか仕事か"という二択を迫られるものではなく、仕事があってこその子育てなのです。働く保護者にとって両者は不可分なものであり、子どもを育てる土台となるのが仕事、収入であり、そこが揺らぐことが不安なのです。

また仕事にならないことで、子どもを責めるような気持ちとなってしまうことへ罪悪感を感じたり、周囲の「贅沢」「ずるい」という目を内在化させ、自分を責めてしまったりするかたもいました。

リモートワーク不可の仕事も悩みは尽きない

いっぽう接客業など、テレワークやリモートワークの不可能な保護者からも悩み苦しむ声が聞かれています。

・3月から営業時間が短縮となり、就労時間が短く収入減が不安だと思っていたら、ついには臨時休業となってしまい「明日から仕事がない。収入が途絶えた」(ショッピングモール内のテナントでパート勤務)

・時差通勤や時短勤務となっても、3〜5月、特に緊急事態宣言後は、公共交通機関の乗車率が抑えられたとはいえ、それでも都心部ではそれなりの人数が乗車しているなか、感染の不安を抱え戦々恐々としながら出勤している。万一のことを考えると、自分のキャリアや収入は、命の危険を負ってまでやることなのか、天秤にかけて考え込んでしまう。またもし自分が通勤していることで感染したら家族へも感染させてしまうのではないかと怖い。(金融系の管理職)

・4月初旬頃は休業補償を得て休業をすることと、外出自粛で客足が遠のいているなか、短縮した時間で営業を続けて得られるであろう利益、大学生のアルバイトの人件費などの経費、また一度休業すると顧客が離れてしまうだろうことなどを天秤にかけて悩んだ。(飲食店の経営者)

・4月初旬に新入社員の研修で大阪の本社へ出張することとなり、こんな時期に都市部へ出張なんて、と思いながら向かったが、研修をオンラインで行うこととなり、感染の不安を抱えただけで出張した意味がなかった。(小売りチェーン店に勤務)

・物流の配達員だが、荷物の受取り時にサインレス可となるなど、配達先との接触を減らす工夫がされているが、感染リスクは高い仕事ではあると思う。配達先から心ない言葉を投げかけられたり酷い対応を受けたこともある。また自分の職業を知る周囲の人から、妻や子どもが差別や偏見、いじめを受けないか心配。(物流の配達員)

・医療従事者へ感謝をしてくれたり労ってくれたりする声も多いものの、いっぽうで感染リスクが高いと思われており、家族が「周囲から避けられる」と悩んでいる。自分は整形外科医だし、勤務先の病院では新型コロナウィルスの検査も実施していない。雇用や収入が守られていることへの嫉妬や僻み、やっかみも含まれている様子だ。(総合病院勤務の医師)

また子どもを持つ保護者同士で、入学式の有無、オンライン授業の有無、休校中に祖父母を頼れるか否か、学校再開の時期などをめぐって、妬みや僻み、やっかみなどネガティブな感情が渦巻いたり、それによって保護者同士の人間関係がぎくしゃくしたり、あからさまに対立したりということも起きています。

子どもをインターナショナルスクールや私立校へ通わせる保護者からは「オンライン授業があって羨ましい、お金のある家はよいよねといわれるけれど、親がサポートしなければならないなど負担も大きいし、学習より学校への適応が不安。学費も通常授業の金額を支払っているのに」といった声も聞かれました。

他者と比べる必要はない

異なる立場の他者同士が対立する背景にあるのは“比較する”心理です。幼い頃から、他者と比べられて育った大人が、つい周囲と比べてしまうのは無理からぬことだとは感じます。SNSなど他者の暮らしの“キラキラした面”ばかりが見えやすくなり、隣の芝生がますます青くなる面もあるでしょう。

しかし"比べる"ことから建設的なものは生まれにくいもの。なにより自身が苦しいのではないでしょうか。

また逆に、"下"(だと認識している)他者と比べて「自分はマシだ」と、自身の優位性を確認する心理にも危うさと感じます。

なぜなら"下"(だと認識している)他者が、いつなんどき"上"(と認識する位置)へ転じるとも限りません。自分の状況が悪化することもあれば、相手の状況が好転することもある。そうしたときに、自分の立ち位置を見失ってしまいかねない危険性を孕んでいるからです。他者を"下"に見ることで保持されている自信は、非常に脆いものなのではないでしょうか。

他者とは「異なる」だけで、どちらがよい・悪いでもなければ、どちらが優っている・劣っているものでもない。「異なる」ものは「異なる」だけ。比べる必要性はないのです。

「"上""下"(だと認識している)」と著したように、上か下かはただ自らがそう認識しているだけのこと。"比べる"から生まれる認識です。"比べる"ことから自由になれば、より生きやすく、楽になれるのではないでしょうか。

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