コロナ禍で軒並み自粛に追い込まれる中、前衛的なライブ・パフォーマンスを企画した友人がいる。
坂出雅海(さかいで・まさみ)さん。
80年代からニューウエーブ・バンド「ヒカシュー」のベーシストとして活動。
その一方で、NHK幼児番組の歌「かっぱなにさま?かっぱさま!」の作曲者としても知られている。
そんな坂出さんが『未曾有 MIZOU』というパフォーマンスを行うという情報を聞きつけ、私はなんとなく注目していた。
3月、坂出さんはバルト海に面したエストニアから帰国した。
エストニアでは、ヒカシューのライブやさまざまなイベントが予定されていたが、新型コロナのパンデミックですべて中止。それどころか、外国人の入国禁止や国際線フライトのキャンセルが相次ぎ、瀬戸際でやっと帰国。
その苦い経験を経て、『未曾有 MIZOU』の企画が立ち上がるとは、まだ坂出さん自身も気づきはなかったようだ。そのくらい世の中が「未曽有」の事態にぼうぜんとしていた。
『未曾有 MIZOU』の会場に選ばれたのは、成城にある「アトリエ第Q藝術」。
60年代、寺山修司らに継ぐ若手アーティストが活躍した「キッド・アイラック・ホール」のように、自由で実験的な創作を目指すアート・スペースだ。
この場所に、なぜか懐かしくて新しい時代の匂いを私の小鼻に感じられたから、きっと何かが起こると確信した。
『未曾有 MIZOU』は4月中旬、コロナウイルス緊急事態宣言による公演中止が続く中、ダンサーの加賀谷香さんとナオミ・ミリアンさんが「何か発表の場を持ちたい」とビデオ会議アプリの「Zoom(ズーム)」を通じて話し合うことから始まった。
坂出さんと美術家・日下部泰生さんもオンラインで参加。
無観客でしっかりとした作品を有料で配信するという方向性が決まった。
そして、坂出さんが「第Q藝術」のチーフ・ディレクター早川誠司さんに連絡すると二つ返事で了承された。
さらに、映像作家・石田英範さんがメンバーに加わり、配信プラットフォームも決定。
私も配信プラットフォームからチケットを購入。
チケット購入画面では、“おひねり”も売っていて、拍手が500~1万円。
試しに数千円分買ってみた。
チケット代が2千円。おひねりに千円使ったとしても3千円で公演を見たと思えばかなりお得。楽屋の差し入れや花代を思えば、おひねりをあげたほうがいいに決まっている。
私も昔、ウクレレライブで1万円のおひねりをもらったことがあった。お客さんがライブの価値を決めてくれるのだ。
5月20日 本番
パフォーマンスを生配信で見ることなど生まれて初めての体験。しかも有料。
劇場に足を運ぶ緊張感も良いのだが、自宅で好きなように見られるというのも良い。
私は、気楽な格好で猫の毛なんかなでながらワクワクしてパソコン画面に見入った。
技術的なトラブルでスタートが1時間ほど遅れたが、家にいるので待つことも苦にならない。
冒頭、生々しいカメラが捉える“ソーシャルディスタンス・ガール”が登場。
成城の線路脇を、奇妙な輪を体に装着し、周りに人を寄せつけずに歩く女。
やがて、彼女は建物つまり「アトリエ第Q藝術」へと入ってゆく。
待ち受けているのは、黄色い防護服をまとった美術家・日下部泰生さん。黒い何かを噴霧している。
室内に建てられた鉄の支柱には透明のビニールテープが張られていて、2人のダンサーは室内の「そこ」と外の「あちら」を行ったり来たり。
それは、目に見えないウイルスにもん絶している人間のように見えたり、未曽有の出来事に翻弄(ほんろう)されている実態のないはずの「心」が踊っているというか、「心」そのものにも見えてくるのだ。
坂出さんの即興音楽も素晴らしい。まるで生き物の呼吸や鼓動、あるいは生活音のように当たり前にそこに存在する「音」になるのだ。
早川さんのカメラワーク。数台のカメラをスイッチングしたり、ディゾルブ(注 映画などで前の画面と次の画面を徐々に転換させる技法)させたりするのは石田さん。ここは、かつて芝浦にあった伝説のクラブ・ゴールドで映像を当てていた石田さんの腕の見せどころだ。
「COVID―19」という世界的未曽有を体現する圧巻のパフォーマンス。
“ソーシャルディスタンス・ガール”の登場は、例えば香港の、あるいはロンドン、ニューヨークのどこかで演じても通じるだろう。
言葉の壁を越えた、人間の体による表現とアートパフォーマンス。即興の音楽。シネマトグラフ映像のセンス。生配信。
反響も良く、売り上げ159枚。関係者チケットも含めると200人が見てくれたそうだ。
50人ほどのキャパシティーの会場に、200人というあり得ない観客数。
これこそインターネットの醍醐味(だいごみ)だろう。
とにかく、すべてをたった6人でやりきった。
坂出さんたちの船は帆を揚げ船出した。
第二弾の『息スル』も好評だった。
2作品を演じたメンバー6人の感想は「実に新鮮だった」という。
それはまさに「未曽有」の事態の惑星で「息スル」感覚なのかもしれない。
そして、作品に対して丁寧に向き合うことの大切さ、お客様の存在の有り難さを知ったとも。
少し立ち止まって考える。
だけど、考えたら実行する。
インターネットが登場してから四半世紀。
配信されるデジタルコンテンツを自分で選んで見る時代。
テレビ局の地上波の見直しというのも当然出てくるだろう。
例えば、朝のワイドショー。リモート出演でいいのであれば、早朝からテレビ局に出向く必要もなくなるだろう。時間を有効に使うことができ、予算も減らせる。
リモート化が困難なドラマなどに予算が流れれば、機材も充実し役者も十分な準備ができる。怒鳴り散らす人々もいなくなれば、現場は制作に集中できて作品の質も上がるだろう。
いろいろなことに世の中がちょっと気づき始めている気がする。
俳優やアーティストはどうやって表現の場を獲得してゆくのか。
ライブや演劇、ダンス、美術館など、ソーシャルディスタンスを確保しながらどう見せるか。見せる、表現する側の意識改革。見る側の意識改革もしかり。
今回のコロナ禍によって、実にさまざまな表現方法があることに気づかされた。
まるで万博パビリオンで「新しい何か」に触れ、興奮気味の子どもの気分。
さて、何かやろうかしら。 (女優・洞口依子)