「ゴールポーチャー」という言葉がある。得点のみを狙うリアルストライカーを示すもので、それが賛辞として使われることは近年それほどない。
しかし、そのような点取り屋受難の時代にもスタイルを崩さなかった選手たちもいる。『Planet Football』はそんな「偉大な現代のゴールポーチャー」を特集した。
フィリッポ・インザーギ
「見よ、彼はほとんどサッカーができない。しかし正しい場所に行く方法を知っている」とヨハン・クライフは言った。それは褒め言葉ではなかったのかもしれないが、彼が持っているタイトルの数を見ればむしろ最大の賛辞かもしれない。
彼はワールドクラスのサッカープレーヤーではなかったかもしれないが、間違いなくワールドクラスの点取り屋であった。
ルート・ファン・ニステルローイ
何度も何度も同じような形でゴールを決める。彼のプレーを見ていると催眠術にかかったようになる。こんなに得点を奪うのは簡単なことなのだと。
できるだけゴールに近い場所でパスを受け、ペナルティエリアの中での勝負に勝つ。そのプレーを続けることがどれだけ難しいものか…。
ハビエル・エルナンデス(チチャリート)
このような生粋のストライカーは、現代ではトップレベルのクラブでほとんど繁栄しない。チチャリートがマンチェスター・ユナイテッドでもレアル・マドリーでもスーパーサブに終わったことはそれを証明している。
とはいえそれを気にすることはない。どんなクラブに行っても、どんな使い方でも、チチャリートは少なくともゴールは奪ってくれる。だから彼を欲しがる監督もクラブも絶えない。「計算できる」という強みは重要だ。
マイケル・オーウェン
キャリアの前半と後半で数字は二極化してしまったが、オーウェンは世界で最も若くてスリリングなゴールスコアラーであった。22歳でバロンドールを獲得したのである。
そのプロ生活は完全なる怪我との戦いであったが、全盛期のリヴァプールでの活躍はすごかった。7シーズンのうち5回で20ゴール以上を決めた。圧倒的なスピードで一瞬の隙を逃さない選手であった。
アンディ・コール
プレミアリーグの歴史上でも屈指のストライカーであったアンディ・コール。マンチェスター・ユナイテッドではドワイト・ヨークとともに見事なコンビネーションを形成した。その数字は187ゴールという数字に現れているが、イングランド代表では15試合しか出ていないというのが意外だ。
このリストのなかではどちらかといえば他のこともできるタイプであるが、それでもゴールに対する安定感は見事。1992年から2006年までの間、2桁に届かなかったのは1回だけだった。
オレ・グンナー・スールシャール
現在マンチェスター・ユナイテッドを率いているスールシャール氏は、現役時代「プレミアリーグ最高のスーパーサブ」だった。常にボックスの中でキツネのようにチャンスを狙っていた。
その得点力は劇的な勝利ももたらした。1999年のチャンピオンズリーグ決勝では、アディショナルタイムにゴールを奪取して試合をひっくり返すキッカケを作っている。
ギャリー・リネカー
イエローカードを一枚も受けなかったことから「究極の紳士」として認められたリネカーであるが、ゴールの前になるとハンターの目つきとなった。ワールドカップでも得点王に輝く。
エヴァートン、トッテナム、そしてバルセロナ…とプレーしてきた彼は非常に抜け目のない点取り屋だったし、芸術的なフィニッシャーでもあった。
ミロスラフ・クローゼ
ワールドカップで決めた16ゴールすべてを見るだけで、その実力の高さは明らかだ。ユース時代はなかなか実力を評価されなかった遅咲きだが、一度点を取り出せば止まらなかった。
そして、ワールドカップ最多得点記録を作ったわけだが、そこにペナルティエリアの外からのシュートは一つもない。圧倒的に美しいボックスストライカーである。
イアン・ライト
「アーセナルにはイアン・ライト以来ナチュラルな点取り屋が必要だったが、今ようやくそれが手に入った」と、解説者ポール・マーソンはアレクサンドル・ラカゼットを獲得したときに言った。
ティエリ・アンリやロビン・ファン・ペルシーはそのコメントに怒るかもしれないが、そのスタイルの違いを表したものだ。ラカゼットがイアン・ライトのようになったかは別の話として…。
クラース・ヤン・フンテラール
現代のサッカーは純粋なストライカーに厳しいものだ。FWにも様々な役割が与えられるからだ。しかし、点取り屋の最高のクオリティは、ゴールを奪うこと。
【関連記事】サッカーの歴史上「最高の遅咲きアタッカー」10名
フンテラールもレアル・マドリーやACミランではうまく行かなかったし、彼が持つ才能を完全に生かせなかった。それでも533回の出場で309得点を決め、シャルケでは48試合で48ゴールという素晴らしいペースでネットを揺らしている。