フェルメール、よみがえるキューピッド 250年以上経てドイツで自筆出現

修復作業でキューピッドの上半身が現れた「窓辺で手紙を読む女」(右)と以前の状態の同作品(Staatliche Kunstsammlungen Dresden提供・共同)

 キューピッドは何者かに隠された―。オランダ絵画の巨匠フェルメール(1632~75年)の「窓辺で手紙を読む女」。フェルメールの死後、何者かが上塗りで作中のキューピッドを覆い隠したことが近年判明し、収蔵するドイツの美術館で上塗りの除去が進んでいる。250年以上を経て再び現れ、世界の美術界に衝撃を与えたフェルメール自筆のキューピッド。来年、本来の姿で展示を予定する。全ては修復専門家の作業中に起きた〝異変〟が始まりだった。(共同通信=森岡隆)

 ▽色彩片の謎

 2017年秋、ドイツ東部ドレスデンのアルテ・マイスター絵画館。修復担当のクリストフ・シェルツェル氏が薬剤と綿棒で「窓辺で手紙を読む女」の画面表面の汚れを落としていた際、綿棒に微細な色彩片が付いた。現存するフェルメールの30数点の作品の一つで、室内の窓近くに立って手紙を読む少女が描かれている。少女の背後には縦40センチ、横20センチの褐色の壁が配され、色彩片が付いたのはこの壁の部分だった。

キューピッドが現れた「窓辺で手紙を読む女」の前で修復について説明するシェルツェル氏=2019年8月、ドイツ・ドレスデンのアルテ・マイスター絵画館(共同)

 「何かが起きたと思った。頭の中で警報が鳴った」。シェルツェル氏は作業をすぐに中断してドレスデン美術大の化学の教授を呼んだ。教授は画面から微細な色彩サンプルを採取し、分析に取り掛かった。1979年にこの作品のエックス線撮影が行われ、壁の下にキューピッドが存在することは知られていたが、フェルメールが自ら壁を描いて覆い隠したと思われていた。

 ▽汚れを追え

 分析結果は驚くべきものだった。色彩サンプルの断面は下から絵の具層、ニス層、さらに絵の具層とニス層が重なり、二つのニス層の間には、ほこりなどで形成された汚れの層があった。

 フェルメールは1657~59年ごろにこの作品を描いて75年に死去した。この間、十数年。シェルツェル氏は「絵が長期間、飾られていた際に表面が汚れ、層となった。汚れの層ができるには長い年月が必要で、上塗りはフェルメールの没後に行われたと考えた。汚れの層の存在がその可能性を強く示していた」。

「窓辺で手紙を読む女」とシェルツェル氏。少女の頭の後ろの壁にキューピッドの下半身が隠されている(共同)

 さらなる検討の結果、上塗りが行われたのは絵の完成から少なくとも数十年後で、フェルメールの死後だったことが明らかになった。2018年に壁の除去が決まり、絵画館は一連の経緯を昨年公表した。絵画の中にキューピッドの絵画を描く「画中画」の作品としてよみがえる。

 ▽長い旅路

 「窓辺で手紙を読む女」は、1700年代にはフランスの収蔵先にあったと考えられ、ドレスデンの王家が1742年にパリで30点の絵画を買い求めた際、サービス品として付けられたものだった。初めはオランダの巨匠レンブラントの作品と称され、絵を描写した当時の手紙にはキューピッドに関する記述がないことから、ドレスデンに届いた時には既に壁が存在したとみられる。

 その後、レンブラント説は消えたが、長らく作者を特定できなかった。学者の調査を経て1862年の絵画目録にようやく「フェルメール作」と正しく記された。第2次大戦中はドレスデン郊外の保管庫に運ばれ、戦後は戦勝国のソ連が戦利品として持ち去り、10年後に返還した。

 ▽熟練の技

 絵画館で修復を統括するウータ・ナイトハルト氏は「シェルツェル氏が異変に気付かなければ、今回の発見はなかったと思う。(フェルメールがキューピッドを意図して描いたことで)少女が読むのがラブレターであることが明確になり、絵の構成も一変した。衝撃的な出来事だった」と話す。

 上塗りは熟練の技術で行われた。ナイトハルト氏はフランスで収蔵され、ドレスデンに届くまでの30~40年ほどの間に壁が描かれたとみる。フランスの収蔵先の管理を担当し、有名画家の下でも学んだベルギー・フランドル地方出身の絵画修復家が関与したのではないかと考えている。

 ▽静寂な空間

 絵画館の工房では上塗りの除去が進む。シェルツェル氏は顕微鏡と医療用メスを使って壁の上塗りを1ミリ単位で慎重にそぎ落としていく。これまでにオリジナルのキューピッドの上半身が現れた。

顕微鏡と医療用メスを使って「窓辺で手紙を読む女」の上塗り箇所をそぎ落とすシェルツェル氏(共同)

 なぜ、上塗りが行われたのか。少女と同じくらい大きいキューピッドは当時の美的感覚にそぐわず、作品の静かな雰囲気を妨げると考えられたのではないか―。シェルツェル氏の推測だ。「上塗りによって、多くの人がフェルメールの作品に感じる静けさがもたらされた。修復前の方が美しいと感じる人も多いかもしれない」

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