専門家会議廃止へ

 〈少しのことにも先達はあらまほしきことなり〉-古文で教わった徒然草「仁和寺にある法師」の段の懐かしい結論部分だ。ちょっとした事柄でも、案内人や先駆者の存在が心強いのは、鎌倉時代も現代も同じ▲そんな意識の裏返しなのだろうか、私たちは「専門家の見解」にとても弱い。それは時々「錦の御旗」や「水戸黄門の印籠」のように、一切の反論を封じる殺し文句になる▲政府の新型コロナ対策を医学的な見地から支えつつ、人と人の接触制限を呼び掛けたり「新しい生活様式」を提唱したり、と積極的な発信を続けてきた専門家会議の廃止が決まった▲一連の活動を〈国の政策を専門家会議が決めているイメージができてしまった〉などと総括している。だが、それは彼らのせいではない。まるでオールマイティーの印籠のように「専門家会議のご意見」を繰り返し持ち出したのは首相や大臣だ▲政府との責任範囲と役割の明確化-を専門家の側が求めているのは興味深い。本来、政治が負うべき責任を丸投げで肩代わりさせられて、きっとげんなりしているのだ▲会議に正規の議事録がないことが問題化したことがあった。ひょっとしたら、見解のつまみ食いや“いいとこ取り”も横行していたのかもしれない…とあらぬ想像をたくましくしている。(智)

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