写真はイメージです
白鳥正人(仮名、裁判当時35歳)には傷害の前歴が2件ありました。その2度とも捕まった後で「もう暴力は振るわない」という旨の誓約書を書いています。2通の誓約書が守られることはなく、彼は3度目の過ちを犯しました。
3回の犯行の被害者はいずれも同居している父親(裁判当時67歳)でした。
初めてDVが警察沙汰になったのは平成31年です。2度目は令和元年の5月、そして3度目は令和元年の12月でした。
短いスパンで犯行を重ねていることから類推できるように、この家ではDVが常態化していました。警察の介入は平成31年からですが、父親の供述によると平成25年頃からすでにDVは始まっていたようです。
「私が家庭をないがしろにしたのが原因だと思い、警察に相談はしませんでした」
という理由で事件を表沙汰にするのは避けてきた父親でしたが暴力は酷くなる一方でした。そして、
「このままでは殺される」
と、警察に被害を相談しましたが、2度の逮捕もDVを止めることはできませんでした。
「犯行当日は家にいました。就職活動がうまくいかなくてイライラしていました。そんな時に父親の携帯電話を見たら家族との約束を破っていると疑わせるようなメールを見つけました。本人に問いただしたら口論になり、つい暴力を振るってしまいました」
と犯行動機を話していました。
「家族との約束」というのは、20年前に父親がフィリピンパブに入れ込んでしまって家庭内でトラブルが起きたことがあり、もうそのような場所に行かないという約束があったのです。
父親の携帯を見てフィリピンパブの女性とメールのやり取りをしているのを見つけ、彼は思ったそうです。
「自分が殴ってでも考えを改めさせるしかない」
約束を破った父親に暴力で制裁を加えること、それはかつて自分がした誓約を破ることに他なりません。
今回の傷害で父親は顔面を複数回殴られ骨折するなど大きな怪我を負っています。そこまで暴力がエスカレートしたのは何故なのか、被告人質問の中で彼は犯行当時思っていたことを語っています。
――殴った後、お父さんに『遺書を書け』と迫ったそうですが、殺すつもりだったんですか?
「そんな意味ではないです。反省文くらいの意味で言いました」
――『父親を殺して俺も死ぬ』とお母さんの友人にラインを送ってますよね?
「暴力は申し訳ないと思ってます」
――今後は実家を出て自立支援センターに行って就職活動をするそうですが、センターって集団生活ですよね? そこで他の人とうまくいかなかったらどうしますか?
「暴力に訴えず話し合いで解決します」
――今回も話し合った末に許せなくなって暴力を振るったんですよね?
「それは家族のことなので…この1年は仕事もなくて精神的に不安定になってました」
――犯行直後に、以前捕まった時に書いた家族との約束事が書かれた示談書を切り刻んだのは何故ですか?
「父が約束事を破っているのに自分だけが守る必要はないと思いました。納得ができませんでした」
彼が切り刻んだ示談書の中には『病院へ行く』という項目がありました。再犯を防ぐためにメンタルクリニックに通うことを約束していたのです。しかし彼は病院には行きませんでした。父親が約束を破ったと判明する以前から彼はすでに約束を破っていたのです。
裁判官は彼に、
「父親が約束を破ったと言うけど、これは私には正義の名の下の制裁にすら見えません。父親に非があっても手を出したらダメなのはわかりますよね? いくらあなたが正しいとしてもあなたの方が若くて力は強いわけだし、ただの八つ当たりなんじゃないですか?」
と質問していましたが、これに対しては、
「自分では八つ当たりとは思っていませんが、そう思われても仕方ないと思います」
と答えていました。
強い者から弱い者へ暴力の矛先が向けられた時、いかなる理由があったにせよそれが正当化されることなど決してあり得ません。(取材・文◎鈴木孔明)