戦中、父が持ち帰ったウサギ それは毒ガス検知の… 横浜の女性が出版

出版した著書「ウサギと化学兵器」を手にする、いのうえさん

 フリーライター・いのうえせつこさん(81)=横浜市栄区=が、ウサギを手掛かりに、日本軍が太平洋戦争時に行った毒ガス兵器の開発をひもとく著書「ウサギと化学兵器」を出版した。幼い頃に飼っていたウサギが、毒ガス漏れなどを検知する「保安装置」としても使われていたと知り、相模海軍工廠(しょう)(寒川町)や陸軍登戸研究所(川崎市多摩区)などを訪ね、資料を読み込んだ。国内外に遺棄された毒ガスは、今も現地住民の健康をむしばんでおり、いのうえさんは「特に若い世代に、戦争の後始末はまだ終わっていないと覚えていてほしい」と訴える。

 太平洋戦争末期の1944年、5歳だったいのうえさんに、父親が真っ白なウサギを持ち帰った。「セッコのウサギ」と名付けてかわいがっていたが、ある日突然、姿を消した。母親に聞くと、「誰かが水が付いた草を食べさせ、死んでしまった」という。

 父親が突然ウサギを連れてきた謎が解けたのは、約50年後。軍需工場での生産活動や病院での看護業務などに従事させられた「女子挺身(ていしん)隊」について取材している過程で、肉も毛皮も役に立つと子どものいる家庭にウサギが配られたと知った。さらにその後、日本軍が化学兵器を開発する際、毒ガスが漏れていないか検知するため、ウサギを使っていたと聞いた。そこで両者のつながりを解き明かすため、取材を始めた。

 国際条約で禁止されていたイペリット(マスタードガス)などを製造した相模海軍工廠、広島県・大久野島、登戸研究所。いずれでもウサギが「保安装置」や実験動物として使われ、相模海軍工廠には動物慰霊塔が建立されていた。

 いのうえさんはこうした調査結果を著書に書き残すとともに、製造された毒ガスが国内はもとより中国でも遺棄され、今も健康被害をもたらしている現状を紹介。中国の被害者を支援している弁護士にも話を聞き、現在進行形の問題として投げ掛けている。

 「日本が国際条約に反して毒ガスを製造し、日中戦争などで使ったことを若い人たちは知らない。どんなにひどいことをしたか、知ってもらいたい」といのうえさん。学校現場では、日本の戦争加害についてほとんど触れられないと聞く。だからこそ、といのうえさんは力を込める。「戦争加害も含めて歴史をきちんと教え、『だから戦争は駄目なんだ』と実感させなければ」

 「ウサギと化学兵器」は花伝社から出版され、1650円で販売している。

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