駆逐艦「菊月」の砲身が京都・舞鶴に帰郷 ソロモン諸島から引き揚げ、神社に奉納 

奉納された菊月の砲身を見る菊月保存会のメンバーや田中宮司ら(舞鶴市森・大森神社)

 太平洋戦争でソロモン諸島沖に沈んだ旧海軍の駆逐艦「菊月」の砲身が27日、京都府舞鶴市森の大森神社に奉納された。砲身は一般社団法人「菊月保存会」(千葉県)が現地で引き揚げ、建造の地・舞鶴市で修復保存していた。戦争や舞鶴の歴史を物語る貴重な資料が、平和への祈りを込めて古里の神社の境内に設置された。

 菊月は1926(大正15)年に舞鶴海軍工作部で建造され、42年にソロモン諸島沖で米軍の攻撃を受けた。現地では現在も、海上に船の一部が出た姿を見ることができる。
 戦争の史実を伝えるため、同保存会が現地や関係機関の許可を得て2017年に重さ約3トン、長さ5.4メートルの砲身を海中から引き揚げ、舞鶴市に運搬。市内の工場でさびの除去や塗装を施し、設置場所を探していた。
 大森神社は正式には彌伽宜(みかげ)神社といい、金工鍛冶の神「天之御影命(あめのみかげのみこと)」を祭る。境内には日露戦争で活躍した軍艦「春日」の砲身を旧海軍が奉納していたが、太平洋戦争中の金属供出で無くなったという。台座の基礎が残されており、同神社は以前から備え付ける砲身を探していた。
 田中國雄宮司(78)は「舞鶴の匠(たくみ)が精魂込めて造った砲身が帰ってきた、奇跡のような出来事。神社は鉄の神様を祭り、舞鶴では海軍の艦船が造られてきた。まちの歴史に思いをはせてほしい」と話す。
 この日、境内に菊月の砲身が運び込まれて台座に設置され、神事が営まれた。祖父が特攻隊員だった同保存会代表理事の会社員佐瀬賢太郎さん(22)=千葉県=は「いろいろな人のご支援で奉納ができて感無量。砲身は素晴らしい技術の産業遺産であるとともに、戦争を物語る貴重な資料。戦争があったことを忘れず、砲身が平和の象徴になってほしい」と願った。

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