三国志の幕開け「黄巾の乱」って何? We are KOUKINZOKU!!

壮大な三国志のストーリーは、長く続いた漢王朝が崩れ始めるところから始まります。

その大きな一撃になったのが「黄巾の乱」です。中国全土を巻き込むレベルの大反乱となり、物語の重要人物たちも一斉に登場します。

しかし、そもそも黄巾の乱とはなんだったのでしょうか。黄巾の乱の発生から収束までをわかりやすく解説します。

桓帝と霊帝

途中に一度だけ国が滅んだことはあったものの、漢という国は前漢と後漢という2つの時代を合わせて400年近く続いた大帝国でした。そんな後漢が弱り始めたころから、三国志の物語は始まります。

このころの皇帝は11代の桓帝と12代の霊帝。桓帝の時代までに国のお金をざぶざぶ使ってきた結果、霊帝が即位したときには財政破綻が目の前の状態になっていました。

困った霊帝は元手ゼロで財政を立て直すプランを考え出します。

 

「そうだ、官位を売ればいいじゃないか!」

 

このアイデアのおかげで朝廷は一気に財政が健全化します。しかし錬金術ともいえるこの奇策は、漢王朝の寿命を縮める原因になります。お金で官位(かんい)を買った人は、その権威を利用して私腹を肥やし、さらに高い官位を買って高い位(くらい)につくという悪循環が始まります。

特に宮廷で幅を利かせるようになったのが宦官たちでした。自分たちの利権のために国を動かすようになった宦官たちの中でも、張譲(ちょうじょう)を始めとする10人は権勢を極め、「十常侍」と呼ばれました。

彼らを取り除こうとする人たちもいましたが、2度にわたって失敗し、抹殺されたのでした。これを党錮(とうこ)の禁と言います。

大賢良師張角

霊帝は十常侍のいいなりとなり、民衆には重い税が課せられました。しかも飢饉や疫病が起こり、人々の暮らしは厳しくなる一方です。そんな中、民衆の希望の光として張角(ちょうかく)が現れたのです。

『三国志演義』では南華老仙(なんかろうせんという)仙人から、「太平要術(たいへいようじゅつ)」という書物を与えられ、これで民衆を救えと言われます。

張角はもともと役人を目指して受験をした経験がありましたが、官職は財力のある人に買い占められていたため、合格できず、挫折して失意の日々を送っていました。

『三国志演義』では太平要術で戦術を学んだ張角は、病を治したり妖術を使える人物となり、彼をあがめる人はどんどん膨れ上がったのでした。張角は自ら新興宗教「太平道(たいへいどう)」の教祖「大賢良師(たいけんりょうし)」になり、さらに信者を増やします。

数十万にものぼる数になった信者を36の支部に分け、自分たちを苦しめる漢王朝と戦う組織に作り上げます。

そして、

「蒼天已死 黄天富立 歳在甲子 天下大吉」(そうてんすでにしす こうてんまさにたつべし ときはこうしにあり てんかだいきちならん)

漢王朝はもう終わってるぞ、これからは我々の時代だ!といった内容ですが、彼らが仲間の証として黄色い布を頭に巻いたことから、「黄巾の乱」と呼ばれるようになる大反乱がここに始まったのでした。

漢王朝と黄巾党の戦い

実は正史の三国志によると、張角は馬元義(ばげんぎ)という人物を都の洛陽に潜り込ませ、黄巾党の決起と同時に朝廷を制圧する計画を立てていました。しかし、唐周(とうしゅう)が宦官たちに密告したために、事前に計画が露見してしまい、馬元義は捕縛され処刑されしまいました。

予定よりも早く旗揚げをすることになってしまった張角に対し、朝廷は皇后の兄である何進(かしん)を中心に、盧植(ろしょく)、朱儁(しゅしゅん)、皇甫嵩(こうほすう)といった将軍たちを各地の黄巾党の討伐に向かわせます。朱儁と皇甫嵩は兵力で劣りながらも火計で波才(はさい)を破るなど、戦果を挙げていきます。

しかし、文武に優れ人徳を備えた人物だった盧植は、宦官への賄賂を断ったことから霊帝に讒言を報告され、投獄されてしまいます。

英雄たちの登場

官位の売買によって戦力がダウンしていた漢王朝は、義勇兵を募って兵力を維持しようとします。この義勇兵の募集に応じたメンバーが、その後の三国志の中心となる人物たちです。『三国志演義』では劉備(りゅうび)、関羽(かんう)、張飛(ちょうひ)の3人も、義勇兵への参加をきっかけにして義兄弟の契りを結んだのでした。

また、朱儁と皇甫嵩の軍には、若き曹操(そうそう)が加勢し、豫州の潁川で戦果を挙げています。

また荊州の南陽では、孫堅(そんけん)が宛城を攻め落とし、この地の黄巾軍を滅ぼしています。劉備、曹操、そして孫策(そんさく)、孫権(そんけん)の父である孫堅が登場し、このとき早くも三国時代の芽が出ているんですね。

あっけない黄巾の乱の終焉

義勇軍の活躍もあり、徐々に官軍が占領されていた城を取り返していきます。張角の病死という黄巾党にとっては決定的な出来事があり、みるみる弱体化していきます。

総大将となった皇甫嵩を中心に官軍は勢いを増し、張角のあと黄巾党をまとめていた弟の張宝(ちょうほう)を討ったのでした。組織としてのまとまりを完全に失った黄巾軍は壊滅し、黄巾の乱はここに収束したのでした。わずか9か月の大反乱でした。

しかし、ふたたび平和になると宮廷内の権力闘争が始まり、各地に残った黄巾軍は山賊になって市民の生活を脅かすようになりました。中国全体がこれからどうなるかわからない時代に突入し、三国志の英雄たちが活躍する舞台が整ったのです。

(文:たまっこ / 編集:はじめての三国志編集部)

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