サーロー節子さん 核禁条約巡り各国元首へ手紙送る 長崎の若者の平和活動は「励み」

サーロー節子さん

 広島市出身の被爆者で、非政府組織(NGO)核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)と行動を共にするサーロー節子さん(88)=カナダ・トロント市=が2日までに長崎新聞社の電話インタビューに応じ、世界197カ国の元首に核兵器禁止条約の批准や促進を訴える手紙を送ったことを明らかにした。国連機関に届ける反核署名を集めている高校生1万人署名活動実行委員会など被爆地長崎の若者の平和活動については「どれだけ私たちの励みになっていることか」と述べ、継続に期待した。
 サーローさんは2017年のICANのノーベル平和賞授賞式で、核禁条約を「核兵器の終わりの始まりにしよう」と演説した。同条約が国連で採択されて7日で3年になるのを前に、取材に応じた。
 6月までに各国元首へ送った手紙のうち、安倍晋三首相に対しては同条約への反対姿勢を批判。方針転換すれば「最大のレガシー(遺産)になるだろう」とした。
 サーローさんは1975年以降、毎年8月6、9日の原爆の日にトロント市役所で原爆展を開催。取材に、惨禍を伝える写真に対し来場者から「希望がない」との反応があったため、核廃絶に向けた前向きな動きも伝えようと現在、長崎から生まれた高校生1万人署名活動の写真を加えていることを明かした。高校生の合言葉「微力だけど無力じゃない」を「とても気に入っている」と言う。
 長崎大などの事業で、核拡散防止条約(NPT)再検討会議に合わせ学生が国際情勢を学ぶ「ナガサキ・ユース代表団」を巡っても「(世界の他の)高校、大学でもやってほしい」と求めた。
 長崎市で5月に予定していた講演が新型コロナウイルスの影響で延期となったことについては「残念」とした。70~80年代に何度か長崎を訪れ、反核運動を進めた被爆医師の故秋月辰一郎さん、被爆者の故谷口稜曄(すみてる)さんらと親交を深めたと振り返り「思い出す人が多い。コロナが落ち着いたら行きたい」と語った。


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