PL学園出身、24歳プロ注目右腕が目指すNPB 「最後じゃなかったと証明したい」

ミキハウス・澁谷勇将投手【写真提供:ミキハウス】

オリックス・中川と同級生、社会人野球ミキハウスの澁谷勇将投手

2016年の夏を最後に休部扱いとなっているPL学園高校硬式野球部。春夏全国制覇7度の名門の誇りを胸に、今も高みを目指しているPL戦士たちが全国の社会人野球チームにいる。ミキハウスに所属する澁谷勇将投手もその一人。澁谷さんは同級生のオリックス・中川圭太内野手の言葉が夢へ向かう支えとなっていた。

「最後のPL戦士」――野球ファンなら、この言葉を聞くと、オリックスの中川圭太内野手のことが頭に浮かぶかもしれない。PL学園、東洋大を経て、プロ入りした2年目の内野手だ。2014年夏の大阪府大会、決勝まで勝ち進んだ時の主将で、決勝戦では全国制覇した大阪桐蔭に敗れた。

当時は校長の正井一真さんが監督を務めるなど、話題となったが、甲子園にはあと一歩届かなかった。この年、背番号1を付けていたのは澁谷さんだった。

澁谷さんは関西国際大学を経て、ミキハウスに入社。プロ解禁2年目となる今年は勝負の年と位置付けていた。しかし、社会人野球も新型コロナウイルスの感染拡大で、スカウトへのアピールするはずの大会が中止になり、実戦の場を奪われてしまった。

「今年は覚悟を決めた1年でした。その前半戦で大事な大会がなくなってしまったのが自分の中で悔しい気持ちが大きいです。ここまで自分は実績を残してきたわけではないので、結果を出さないとステージに上がれません。でも、誰も同じ気持ちなので、この期間で自分に足りない部分を補い、成長できる時間にしようと思って、取り組みました」

オリックス中川「社会人野球などで頑張っている先輩、同級生もいる」

約2~3週間、グラウンドでの野球は自粛となったが、今では野球ができることに感謝しながら、ピッチングでボールを磨いている。澁谷さんの武器は動く力強いストレート。直球のキレに加え、カットボールやツーシームなどの質を高めた。

公式戦はなくなっても心は折れることはない―。澁谷さんには背中を押してくれる盟友がいる。

オリックスに入団した中川が入団時のこと。メディアは「最後のPL戦士」と取り上げ、注目を集めた。しかし、中川自身がその言葉を好んではいなかった。中川に真意を聞くと、こう回答してくれた。

「社会人野球などで頑張っている先輩、同級生もいるので、そういった人達からすれば、『最後の……』と言われるのはおかしいと思いますし、プロ野球を目指している人達に失礼になります」

澁谷さんだけでなく、昨年の都市対抗野球に出場したヤマハの前野幹博外野手や、香川オリーブガイナーズの宝楽健吾内野手といった先輩、同級生で同じ投手だった鈴木達馬投手も現役でプレーを続け、夢と白球を追いかけている。中川が「最後の―」のフレーズがあまり好きではないというようなコメントは、澁谷さんをはじめ、同じ伝統のユニホームを着た男たちへのエールとなっていた。

澁谷さんが言う。

「僕もそれを聞いた時、すごく嬉しかったですし、もっと頑張ろうと思いました。中川が、やっぱりそうやって言ってくれているからには、『やっぱり、最後じゃなかったんだな』って、自分がその言葉を証明したいですし、頑張る理由が増えた感じです。力になりましたし、やらないといけないなという思いにさせてもらいました」

中川が「PL最後の戦士」と言われていた時は、自分への注目が全くないことを実感した。同時に「やってやるよ!」という反骨心に変わった。中川がプロで結果を残し始めて聞こえてきた言葉は、澁谷さん自身の刺激になっていた。

「すごい心の支えです!……という感じでは無いですけど、頑張れてるなと思います(笑)」

照れくさそうに笑った。一方、中川も盟友へエールを送ってくれた。

「大変な時期を共に乗り越えたメンバ-ですし、澁谷が社会人で頑張っているのは、前から知っています。そのようなことを言ってもらえて、すごくうれしく思いますし、僕自身も刺激をもらっています。プロ野球という世界でも一緒にプレー出来たら、嬉しいですね」

絆の結び目はさらに強固なものとなっていた。

ともに着用した伝説のユニホーム、PL学園は卒業した2年後に休部

澁谷さんが卒業した2年後に、名門の野球部は休部の時を迎えた。注目のラストゲームは、花園中央公園野球場に足を運んで見届けた。

「最後はやっぱり、悲しかったですね。でも、自分たちが見ていた2学年下の後輩たちが最後でよかったかなという思いもあります。自分のことのように、悔しさや悲しさを共有できました。『あぁ……終わっちゃったんだ』というような感じでした」

一方で改めて、母校のすごさも感じた。球場には多くの元プロ野球選手の先輩OBが来場。メディアは大々的に取り上げ、ファンはその姿に涙した。

「自分もこんな凄いところで試合に出させてもらったんだと思いました。卒業してからもPL学園卒業というのは一生、僕についてもくるものです。野球を続けていて、出身高校の名前を出せば、周りの方はみんな知っています。先輩たちの偉大さに尽きると思うんですけれど、そういうところで高校生活を過ごせたことはすごく嬉しいことですし、僕にとって誇りです」

澁谷さんがもしも、NPBの扉を開くことができた時、また「PL学園」が人々の心に蘇るだろう。プレッシャーに感じないといえば嘘になる。だが、力になっている部分は大きい。

「もっと意識して、頑張る理由にしていきたいと思っています。そうすればもっと自分が強くなれるんじゃないかなと思います」

盟友の思いも無駄にはしない。受け継がれてきた伝統の“火”も消すわけにはいかない。“PL戦士”はまだ戦っている。(楢崎豊 / Yutaka Narasaki)

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