和歌山大空襲から75年・新型コロナで追悼法要も縮小に

和歌山市で1100人以上が犠牲になった、昭和20年(1945年)の和歌山大空襲から75年が経ったきょう(9日)和歌山市西汀丁(にしみぎわちょう)の汀公園(みぎわこうえん)で追悼法要が営まれました。

ことしの追悼法要のもよう(7月9日・和歌山市汀公園)

和歌山大空襲は、1945年7月9日の深夜から10日の未明にかけて、アメリカ軍の爆撃機B29が和歌山市に焼夷弾などを投下して和歌山城周辺が火の海となりました。このとき、和歌山市でおよそ1100人が犠牲となり、このうち大半を占める748人は避難先の汀公園で火災旋風に巻き込まれました。

追悼法要は、和歌山市戦災遺族会の主催で毎年7月9日に行われていますが、ことし(2020年)は新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、遺族会の役員7人と関係者のみが参列する規模を縮小しての開催となりました。

焼香する戦災遺族会の田中理事長

梅雨空のもと、和歌山仏教会の僧侶6人が慰霊碑に向かって読経を行うなか、和歌山市戦災遺族会の田中誠三(たなか・せいぞう)理事長84歳らが焼香をして手を合わせました。田中理事長は「戦後75年は長いようで短いようで、その間、平和な終戦後が続いています。この状態がいつまでも続くことを願っています」とあいさつしました。

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