芥川賞と直木賞ってどんな賞? 創設85年で人気作家輩出、著名作家が漏れることも

直木賞受賞が決まり、喜ぶ作家の馳星周さん=15日午後、北海道浦河町

 第163回芥川賞、直木賞(日本文学振興会主催)の選考会が15日、開かれた。芥川賞は高山羽根子さんの「首里の馬」と遠野遥さんの「破局」の2作が、直木賞は馳星周さんの「少年と犬」が選ばれた。受賞作がベストセラーになり受賞者も時の人になるなど大きく注目される芥川賞と直木賞とは、どんな賞なのだろうか?(共同通信=榎並秀嗣)

 Q 賞の歴史や性格を教えて。

 A 雑誌「文芸春秋」を創刊した菊池寛が、作家の芥川龍之介と直木三十五を記念して、1935年に創設した。正式名称は「芥川龍之介賞」と「直木三十五賞」という。ともに日本を代表する文学賞として知られている。

 Q それぞれの賞が対象とするジャンルは。

 A 芥川賞は芸術性に重きを置く「純文学」の新進作家の登竜門として位置づけられる。一方、直木賞は娯楽性に重きを置いている「大衆文学」が対象。新進・中堅の作家が執筆した作品から選ばれる。受賞者には正賞として懐中時計、副賞として100万円が授与される。芥川賞の受賞作は「文藝春秋」に、直木賞の受賞作は「オール讀物」に掲載される。

 Q 今回受賞した3人について教えて。

 A 高山さんは1975年富山市生まれ。2010年にSF作家としてデビューした。受賞作は沖縄を舞台に、主人公の女性と在来種の馬との奇妙な出会いを静かにつづった。

 遠野さんは1991年神奈川県生まれで、2019年に文芸賞を受けデビュー。受賞作は、体育会系の男性の不気味なほどに迷いのない内面とその破綻を淡々とした筆致で描いた。

 馳さんは1965年北海道生まれ。96年「不夜城」でデビュー後、数々の賞を獲得してきたベテランだ。7回目のノミネートでついに受賞を果たした。受賞作はさまざまな飼い主を渡り歩き、はるばると旅を続ける犬の道行きの先に、思わぬ真実が浮かぶ連作短編集だ。

 Q 受賞作はどうやって決まる?

 A 年2回、同じ日に開かれる選考委員会で選ばれる。選考委員会は作家で構成されている。選考の場所は東京・築地の料亭「新喜楽」だ。芥川賞が1階で、直木賞は2階で行われるのが慣例となっている。

 候補作は公募しない。主催する日本文学振興会が社外へのアンケートで絞った作品を振興会から予備選考委員を委嘱された文芸春秋の社員がまず読む。読んだ社員らの議論を経て、候補作を決める。

「火花」が芥川賞に決まり、ピースサインを見せる又吉直樹さん=2015年7月16日

 Q 主な受賞者を教えて。

 A 芥川賞は、石原慎太郎さん(55年「太陽の季節」)や大江健三郎さん(58年「飼育」)、村上龍さん(76年「限りなく透明に近いブルー」)、柳美里さん(96年「家族シネマ」)らを輩出している。

 2015年には、お笑い芸人の又吉直樹さんの「火花」が受賞して話題になった。

 直木賞も司馬遼太郎さん(1959年「梟の城」)や、池波正太郎さん(60年「錯乱」)、林真理子さん(85年「最終便に間に合えば・京都まで」)、高村薫さん(93年「マークスの山」)をはじめとする人気作家を生み出した。

 人気ドラマ「半沢直樹」や「下町ロケット」の原作者である池井戸潤さんは2011年に「下町ロケット」で選ばれている。同じくドラマ化されて人気を博した「ガリレオ」の原作者である東野圭吾さんも05年に「容疑者Xの献身」で受賞している。

 Q 最も若く受賞した人は?

 A 芥川賞は03年に「蹴りたい背中」で選ばれた綿矢りささんの19歳11カ月。20歳5カ月の金原ひとみさんも「蛇にピアス」で同時に受賞して、社会現象となった。「蹴りたい背中」は百万部以上を売り上げる大ヒット作となった。「蛇にピアス」の売り上げも50万部を超え、吉高由里子さん主演で映画化もされた。

 直木賞は1940年に「小指・その他」で受賞した堤千代=55年死去=の22歳10カ月が最年少だ。

 ちなみに各賞の最年長は次の2人となっている。芥川賞が黒田夏子さんの75歳9カ月で、直木賞は星川清司さん=2008年死去=の68歳2カ月。黒田さんは12年に「abさんご」で、星川さんは1989年「小伝抄」で選ばれた。

芥川賞に決まり、笑顔を見せる綿矢りささん(左)と金原ひとみさん=2004年1月15日

 Q 賞を辞退した人はいないの。

 A 一人いる。高木卓=74年死去=だ。40年の芥川賞に選ばれながらも、受賞作「歌と門の盾」を「不満足の出来」として辞退した。

 Q 有名な作家で受賞していない人は。

 A 最も有名なのは太宰治。「人間失格」や「走れメロス」「斜陽」などで知られ、今も根強いファンがいる太宰は「逆行」が第1回芥川賞の候補に挙がったが落選した。太宰は芥川龍之介を敬愛していたこともあり、この賞を求める気持ちが強かったとされる。

 そのためだろう。太宰は選考委員を務めていた作家の佐藤春夫に賞をねだる手紙を送ってもいる。手紙で太宰は「第二回の芥川賞は、私に下さいまするやう、伏して懇願申しあげます。(略)佐藤さん、私を忘れないで下さい」と切々と訴えた。しかし、第2回以降は候補にもならなかった。

太宰治が芥川賞選考委員だった作家の佐藤春夫に宛てた書簡=東京都渋谷区

 今回の芥川賞候補作には太宰の孫である石原燃さんの作品も挙がっていたが受賞はならなかった。石原さんの母は太宰の娘で2016年に死亡した津島佑子さん。津島さんも芥川賞は取っていない。

 近年、毎年のようにノーベル文学賞の候補として名前が挙がる村上春樹さんも芥川賞の候補に2度なったものの、受賞はしていない。

 それゆえ、芥川賞の選考を巡っては問題視する声もあった。具体的には、通常10人ほどいる選考委員の任期がないため、現在の文学を理解できない恐れがあるなどだ。しかし、2010年以降は6人が交代するなど変化も見られている。

© 一般社団法人共同通信社