80年代の吉永小百合、南野陽子が放っていた崇高かつ孤高のオーラ 1987年 4月1日 南野陽子のシングル「話しかけたかった」がリリースされた日

__80’s Idols Remind Me Of… Vol.20
南野陽子 / 話しかけたかった__

元AKB48 星野みちるもカバーした「話しかけたかった」

元AKB48、現在シンガーソングライターとして活動している星野みちるが、昨2019年待望のフルアルバム『月がきれいですね』をリリースした。その中にいくつかのカバーソングが収録されているのだが、そのうちの1曲に、なんと我らが南野陽子の「話しかけたかった」(1987年)がピックアップされている! 星野風に換骨奪胎された「話しかけたかった」を耳にして、あらためて南野陽子を代表するこの名曲に思いを馳せることになった…

いちばんかわいかった80年代女性アイドル… 南野陽子!

数多出現した80年代女性アイドルシンガーの中でも、最も崇高かつ孤高のオーラを放っていたのが南野陽子だった。とにかく断トツでかわいくて美しい… なんというか、ただかわいいだけじゃなく、清楚、親近感、気高さ、知性、高め系… 見た目や醸し出す雰囲気として、アイドルが備えるべき必要な要素をすべて持っているのではないか、とまで思わせてくれるほどの美しさ… とでも言えばいいのか。

幼さと高貴さ、親しみやすさと高め系、ノーブルとコケティッシュ、インテリジェンスと小悪魔系… 相反する対極の要素でさえも同居させている、これはもう誤解を恐れずにあえて言うならば、80年代版吉永小百合!実際のところ、性別問わず40歳以上の日本国民で、南野陽子を嫌いという人はほぼ皆無と推測されるし、“いちばんかわいかった80年代女性アイドルは?” という問いには、かなりな高確率で筆頭に挙げられるのではないだろうか。南野陽子って、そんな存在だったわけだ。

1985年歌手デビュー、87年シングル「楽園のDoor」でオリコン1位

南野陽子は、1985年「恥ずかしすぎて」で歌手デビュー、同期には浅香唯、井森美幸、大西結花、斉藤由貴、佐野量子、中山美穂、本田美奈子、芳本美代子ら錚々たるメンツがいた。松田聖子、中森明菜の2トップ、そしておニャン子クラブが台頭する壮絶なシーンの中、南野陽子の初期シングルたちは苦戦を強いられる。

ようやく87年の最初のシングル「楽園のDoor」でオリコン1位を獲得、続く通算7枚目のシングルが「話しかけたかった」(1987年)だった。それまで続いたマイナー調な落ち着いた路線から一転、メジャー調な明るいシティポップ路線となった当作は、期待にたがわずオリコン1位を連続で獲得、以降80年代に発売されたシングルはすべてオリコンの1位か2位となって、高め安定期に突入していく。

ジャケットは深窓の令嬢? 最重要作「話しかけたかった」

南野陽子の万人が知りうる最大公約数的な代表曲といえば、おそらく映画主題歌「はいからさんが通る」(1987年)、カネボウのCM曲として最大ヒットとなった「吐息でネット」(1988年)あたりが挙げられよう。でもしかし、南野陽子という類まれなる素材を活かしきった、(歌唱力の弱さも含めて)極めて80年代アイドル手法の粋が詰まりまくった「話しかけたかった」があったからこそ、その後の高め安定期が訪れたのではないだろうか。だとしたら当作こそが、彼女のターニングポイントになりえた、最重要作と言えよう。そう、「話しかけたかった」は、南野陽子の代表曲だったのだ!“深窓の令嬢” 的な雰囲気が伝わってくる、完璧なかわいさが刻まれたジャケットを眺めながら、そんなことを思っていた…

アイドルのDJイベントで、南野陽子のこの1曲!という意味では、筆者は30数年間にわたって「話しかけたかった」一択。話しかけたかったけど、ハネた髪のせいで叶わずって、なんて脱力的でかわいいんだ!という贔屓目があるとしても… 今日もレコードバッグに、「話しかけたかった」をしのばせるのだった。

※ KARL南澤の連載「80's Idols Remind Me Of…」
80年代の幕開けとともに、新たなアイドルシーンが増幅・形成されていった。文字通り偶像(アイドル)を追い求めた80年代を、女性アイドルと、そのヒットソングで紐解く大好評連載。

■ 1980年にデビューした浜田朱里、山口百恵の引退と大いなる時代の変化
■ ポスト堀ちえみ? 清純派路線の正統派、島田奈美は試練の86年組
■ 石川ひとみ「まちぶせ」デビューから3年、11枚目のシングルで大ヒット!
etc…

カタリベ: KARL南澤

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