変化を前進する力に変える ベネッセがコロナ危機対応から得たもの

コロナ危機によって企業の力が試されている。ベネッセコーポレーションは3月の学校一斉休校の際、他社がダウンロード版教材を無償提供する中、ネット環境に関係なく誰もが対応できる紙教材の配布に優先的に取り組んだ。そこには社会がベネッセに求める役割を問い続け、パーパス(存在意義)を実行しようとする姿勢があった。多くの企業が困難に直面する今、「変化を前進する機会に変えていきたい」と語るのは取り組みを率いた橋本英知・ベネッセコーポレーション取締役マーケティング開発セクター長だ。コロナ禍に挑戦する同社の方針を聞いた。
(聞き手:足立直樹 SB-J サステナビリティ・プロデューサー)
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――2月末に政府から一斉休校が発表され、ベネッセはどんな対応をしましたか。

橋本英知氏(以下、敬称略):小中高校生向けに「春の総復習ドリル」の無償提供、電子図書館の開放を行いました。ドリルはまず紙のものを発行し、つぎにオンラインでダウンロードできるもの(PDF)を準備しました。3学期の学習内容にあわせたものを再編集して作成しています。電子図書館では約1000冊の本が読めます。子どもたちが家でずっと勉強ばかりすることは難しいですから、時間がある時こそ、読書をした方がいいのではないかと考えました。

――橋本さんが指揮をとり、かなり短期間で準備を進めたそうですね。

橋本:政府の発表があった2月27日木曜日の夜、ドリルを無料で公開するなどの支援策を考え、翌朝に開かれた経営会議で発表しました。この時点では、紙のドリルを提供する予定はありませんでした。しかし、周囲のお子さまがいらっしゃる方に話を聞いていく中で、無料で簡単に手に入るものがたくさんあっても、結局は使わないかもしれないと考えました。一方、紙ならネット環境や機材の有無に関わらず、より多くの子どもたちが活用でき、勉強する可能性も広がります。やっぱり紙で出そう、と決めたのは3月1日日曜日の夜です。受付開始の1日前でした。紙版を配布するには印刷や配送、権利関係の調整などパワーと時間がかかりますが、社長の小林が「そうした方がいい」と後押ししてくれて実現できました。

その間、電子図書館の開放に向けて、12社の出版社や映像提供会社に連絡をして、掲載している1000以上の作品のコンテンツ許諾をとっていただきました。通常は会員限定で公開しているものなので、確認をとる必要がありました。また大量の同時アクセスも想定されるため、サーバーの容量も増やさなければなりませんでした。本社のある岡山県にもサーバーが一部あるので、担当者は岡山に飛んで対応してくれました。

――最終的に、どれぐらいの部数を発行しましたか。またプロモーションはどう行われたのでしょうか。

橋本:紙のドリルは30万部、後で公開したPDF版は70万部ダウンロードされ、合計で100万部発行しました。広告的なプロモーション活動は行っていませんが、プレスリリースを発信したので、3月3日火曜日の朝に「ZIP!」「めざましテレビ」「あさチャン」などのテレビ番組がこの活動を取り上げてくれました。朝の番組は社員や関係者も見ていますから、「自分たちは意義のあることをやっているんだ」と社員の士気が上がりました。最初は「こんな短時間で実現できるのか」「有料の教材販売に支障が出るのでは」という声もありましたが、社内の空気が変わりました。放送の4時間後に、最初に準備していた10万部がなくなり、すぐに30万部まで増やしました。その後、書店でドリルが売れているというニュースを見て、紙版を出してよかったと実感しました。

――申し込みは全国からありましたか。

橋本:はい。感染者数が都道府県によって違ったので、それを反映した傾向はありましたが、全国からまんべんなくお申込みいただきましたね。私たちの見込み顧客にいらっしゃらない方からのお申込み率が高かったことが印象的でした。

――小学生未満の子どもたちに対してはどう対応されましたか。

橋本:「オンライン幼稚園」という、毎日、幼稚園のように活動する動画サイトを開設しました。幼稚園は休園予定ではありませんでしたが、徐々に閉まっていく状況でした。幼児が家にいるとお母さんは働けませんし、すごく大変です。でも前向きに考えると、普段は見られない成長を見られる時でもあります。

幼稚園が始まる時間帯に合わせて、挨拶から始まり、体を動かし、歌を歌い、昼休みをとるといった幼稚園仕立ての動画を公開しました。リアルタイムでの配信にこだわっていましたが、開始直後、海外に住む日本人の方からも問い合わせがあり、日本はリアルタイム、海外で暮らす子どもたちはアーカイブで視聴できるようにしました。その後、世界100か国で視聴をしていただき、今回の件が世界的に課題になっていることを強く実感しました。

幼児のストレスが溜まらないように、運動のための動画も作りました。そこには、しまじろうだけでなく、子どもが好きなハローキティなど、たくさんのキャラクターも参加してくれました。こういう時だからこそ、会社の枠を超えて、このような取り組みがみなさんと共同でできたことはすごく意義深かったと思っています。

社会がベネッセに求める姿を見据えて

――短い期間でベネッセの支援策を打ち立てて実行されたわけですが、橋本さんの原動力はどこにありますか。

橋本:まず3.11の経験です。あの時は帰宅できない社員たちと、「朝までいるなら、われわれができることを考えてみよう」とブレインストーミングをし、そこで出た企画を実現していきました。ベネッセが持っている専門家のネットワークやこれまでに作った幼児向けの記事など、すでにあるリソースを使ってできることをやっていこうと考えました。

当時、私はこどもちゃれんじの責任者だったので、緊急時の子育て情報の発信を行いました。必要とされている放射能に関する正確な情報を発信しようと思いましたが、執筆を引き受けてくれる方が簡単には見つからず、複数の専門家が語った共通見解を発信しました。Twitterでまず活動を発信し始めたのですが、芸能人や有名人の方などがツイートしてくれて、取り組みが広がり、テレビ番組でも取り上げていただけたので、さらに広がりました。その経験が今回のことに役立っていると思います。

また、私自身、一生活者として見ても、ベネッセがやっていることや考えていることは世の中のために必要なことだと思っています。ですから、社会がベネッセにやってもらいたいと思っていることに取り組みたいなと思いました。私たちが長年手掛けている通信教育がいい例ですが、少しでもよい教育を、できるだけたくさんの人に届けたい、どこに住んでいる人にも公平に機会をつくり、支援しようというのは会社のDNAかもしれません。

――今回の新型コロナ危機への対応は、従業員の方々にもいい経験になったのではないでしょうか。3.11のときのようにみなさんの意識もまた刷新されると考えますか。

橋本:変わると思います。目の前で発生したことに対して、一人ひとりがきちんと自分の目で見て、頭で考えて実行するという習慣がつきました。そういう社員が増えるということは、変化が常態化する将来に向けて、この会社が生き残るための術を得たとも言えるかもしれません。

――新型コロナ危機によって、今まで変化するのに時間がかかっていたものが一気に動きました。変化が大きくなると、自分で考えるということがすごく問われるようになります。

橋本:そうですね。いろんな人がいろんなことを思った上でどんな意思決定をするか――。変化を前向きに捉えるか、リスクを感じて戻ってしまうのかということですが、今の経営陣は変化を前向きに捉え、チャンスに変えていこうという考えです。それに私はマーケティングを担当していますから、ピンチをチャンスに変えていこうという思いが強いです。変化を読み、それに乗っていくことを積極的に行わねばと思います。

今回の取り組みの背景には、社長の小林のもと、昨年度からパーパスを考え、それぞれの組織で行動基準に落とし込むことを行ってきたことがあります。今回のようなことが起き、それを少しは体現することができました。また、このようなスピードで実現できたのは、多くのパートナー企業、活動に賛同いただいた方々と一丸になれたことが最大の要因です。ベネッセは今、積み重ねてきたものを生かして次の段階に進んでいく、そういうフェーズにあると思っています。


橋本 英知 (はしもと・ひでとも)
株式会社ベネッセコーポレーション 取締役 マーケティング開発セクター長
ダイレクトメールを中心とした、各種メディアによるセールスプロモーションツールの企画・制作に携わる。その後、新商品開発、サービス開発、新規事業開発、経営企画を経験後、CMO補佐として、マーケティング戦略・ブランドコミュニケーション・情報基盤・組織人事・コンプライアンス・業績管理などに広く従事。グローバル教育事業、こどもちゃれんじ事業、進研ゼミ事業を経て、2020年4月から現職。社外では、「ダイレクトマーケティング」「デジタルマーケティング」「ブランドマネジメント」「組織マネジメント」領域での活動を中心に、講演・寄稿など多数。


インタビューを終えて

新型コロナに企業はどのように対応をしているのか。各社のウェブサイトを調べた中で、日本企業としては異彩を放っているのがベネッセさんでした。非常に早い段階から、自分たちの思いとやっていることを明確に示していたからです。

こういう時にはどうしても、まずは事業の継続、そして関係者の安全、と守りに走ってしまうものですし、積極的な活動をしたとしても、対外的にそれを打ち出すことには慎重な企業も日本では多いように感じます。

なのに、なぜベネッセさんは違うのか。それが知りたくて関係者にお尋ねしたところ、橋本さんの力が大きかったことを知り、今回のインタビューとなりました。

なぜこうした動きをしたのか、またそれが可能だったのか。細かい状況を含めてお話しをうかがえて非常に参考になったのですが、とても嬉しかったのは、そこにパーパスがあったということです。

サステナブル・ブランド国際会議2020横浜でベネッセホールディングスの安達保社長もお話しなさっていましたが、日本中の子どもたちが質の高い教育を受けられるようにという創業の思い、そして創業の地も東京ではなく岡山という地方都市であったからこそ、誰もが勉強できるようにという思いがDNAとして強く刻まれていることを感じました。

もう一つなるほど思ったのは、そうした思いを発現させるのは、今回が初めてではなかったということです。3.11のときの体験があり、今回もごく自然に「自分たちにできることをやろう、やらなくては」となったとのことで、こうした経験を重ねることの重要性を改めて感じました。

もちろんそうした思いを後押ししてくれる、パーパスを共有する小林社長の包容力が幸いしたのは言うまでもありません。

それにしても、教材のダウンロードだけであればわりと簡単に実現できるでしょうし、実際そうした同業者も多かったと思います。そのような中で、子どもたちにとって、そして親御さんにとって、いま本当に求められていることは何かにこだわり、あえて印刷物を送付するという極端に高いハードルにチャレンジされたことには、感銘を受けました。費用がかかるという以上に、このスピード感で実施するのは物理的にとてつもなく大変なはずです。そして実際にお話しをすると、その苦労は想像以上でした。

そもそも橋本さんはサステナビリティの責任者ではなく、マーケティングの責任者なので、立場的には逆の発想をするのが普通なのではと思ったのですが、結果は必ずついてくるということを3.11のときの経験からも信じていたそうです。

橋本さんご自身も「のりがいい社員がたくさんいる」とおっしゃっていましたが、お話を聞いているとそういう社内の様子が頭に浮かんでくるようでした。この会社がこれから何をしていくのか、マーケットや社会をどう変えて行くのか。ポストコロナが楽しみになるインタビューでした。

足立 直樹 (あだち・なおき)
SB-J サステナビリティ・プロデューサー
東京大学理学部、同大学院で生態学を専攻、博士(理学)。国立環境研究所とマレーシア森林研究所(FRIM)で熱帯林の研究に従事した後、コンサルタントとして独立。株式会社レスポンスアビリティ代表取締役、一般社団法人 企業と生物多様性イニシアティブ(JBIB)理事・事務局長。CSR調達を中心に、社会と会社を持続可能にするサステナビリティ経営を指導。さらにはそれをブランディングに結びつける総合的なコンサルティングを数多くの企業に対して行っている。環境省をはじめとする省庁の検討委員等も多数歴任。

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