「関心持ち、惨状伝えて」 大村海軍病院・泰山院長の孫 瓜生田さんが講演

祖父が残した救護活動の記録について語る瓜生田さん=長崎大医学部良順会館

 長崎原爆の投下直後、被爆者を収容した大村海軍病院(現国立病院機構長崎医療センター)の院長だった泰山(やすやま)弘道さん=1958年に70歳で死去=の孫、瓜生田(うりうだ)和孝さん(77)が17日、長崎市坂本1丁目の長崎大医学部で講演した。祖父が書き残した救護活動の記録を紹介し、「被爆者はどんどん少なくなっていく。皆さんも関心を持ち、研究し、原爆の惨状を伝えていってほしい」と学生に思いを託した。
 救護記録によると、同病院では投下直後に758人の患者を収容。泰山さんは院長として、被爆者の救護、治療に当たった。長崎医科大(当時)の同窓だった故永井隆博士から勧められ、51年4月に執筆を開始。同8月9日に400字詰め原稿用紙約430枚分を書き上げた。55年には英訳版も記した。
 泰山さんの死後、医師視点の貴重な史料の存在を知った関係者らが尽力し、84年に「長崎原爆の記録」として出版。2005年には泰山さんの悲願だった英訳版も出版された。
 「祖父の場合はさまざまな偶然がつながり継承されたが、それは強い意志があったからこそ」と話した瓜生田さん。講演後、「(世界に原爆の惨状を知らせるという)永井博士との約束も果たせたのではないか」と祖父の功績に思いをはせた。
 講演は原爆復興75周年記念として開催。長崎大の医学科1年生がオンラインで聴いた。後日、医学部のホームページに動画を公開予定。

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