【高校野球】出場辞退に「世間の声もあったのかな」 失意の主将を救った父・中山秀征氏の言葉

青山学院高校野球部・中山脩悟主将【写真提供:青山学院高校野球部】

1883年創部、代替大会出場を辞退した都内最古の歴史を誇る青山学院高校

第102回全国高校野球選手権大会の中止が決まり、約1か月。代替大会、引退試合、上の舞台、将来の夢……。球児たちも気持ちを切り替え、新たな目標に向かってそれぞれのスタートを切っている。新型コロナウイルスは彼らから何を奪い、何を与えたのか。Full-Countでは連載企画「#このままじゃ終われない」で球児一人ひとりの今を伝えていく。

各都道府県で代替大会開催が決定し、球児たちが新たな目標に歩を進める一方、なかには大会出場そのものを辞退した学校もある。1883年創部、東京都内最古の歴史を誇る青山学院高校野球部もそのひとつだ。代替大会抽選会前日の7月3日、タレント・中山秀征氏の次男でもある中山脩悟主将(2年)に突き付けられたのは、学校側が決定した非情な現実だった。

「顧問の先生に呼ばれ、学校としては感染リスクや練習不足による怪我防止の観点から、大会出場は難しいと告げられました。練習自粛でメンバーが集まれないなか、その夜のZoomミーティングで自分の口からチームメイトに学校の決定を伝えましたが、納得は得られなかった。もちろん、自分も同じ思いでした」

東京都の加盟校259校中、出場辞退の決断した学校には青山学院のほかに離島で移動や宿泊のリスクが伴う八丈島高校がある。都心に位置し、そういった制限のない青山学院にとって、出場辞退が受け入れがたい決定であることも確か。脩悟主将の胸には今も複雑な思いが尾を引いている。

同校は新型コロナウイルスの感染拡大を受け、すべての部活動が7月24日まで活動休止。野球部だけ特例を認めるわけにはいかないという学校側の事情もある。今チームは3年生がおらず2年生以下の編成。それでも、限られた夏の大会に懸ける思いに学年は関係ない。

「『部活なんてやってる場合じゃない』という世間からの抗議の声もあったのかな……。でも、他の学校は出場できるなかで、自分たちだけ出られないというのはやっぱり悔しい。今も全体練習は一度もできてなくて、練習不足で怪我の危険があるというなら、じゃあ秋の大会はどうなるんだろうという不安もあります」と率直な思いを口にする。

そう簡単に割り切れる問題でもない。同校野球部はグラウンドがなく、土日は東京・町田の大学の準硬式野球部のグラウンドを借りるなど限られた環境で練習を積んできた。父母会、OB会からのサポートもあり、感謝の思いをグラウンドで表現したかった。やりきれない思いをあげればキリがない。

青山学院高校野球部・中山脩悟主将【写真提供:青山学院高校野球部】

納得のいかない日々のなか、前を向くきっかけとなった父・中山秀征氏の言葉

納得がいかず葛藤を抱く日々のなか、前を向くきっかけとなったのが父である中山秀征氏の言葉だ。

「『悔しいのはわかる。でもその悔しさが来年の夏につながるんじゃないのか?』と言われて。野球に関しては父が一番の理解者で、いつも父の言葉に助けられてきた。中学最後の大会で敗退したときも『勝負の世界なんだから、負けることもある。この負けは絶対次につながるから』と言われ、自分にはまだ高校野球があるじゃないか、続けることが大事なんだということを教わりました」と脩悟主将。今はまだ入部もままならない新入部員を一人でも多く確保し、新チームで迎える秋の大会へ気持ちを切り替えている。

悔しい思いは生徒だけではない。茂久田裕一監督も選手と同じ葛藤の中にいる。指揮官は学校の教員ではないため、部活動が休止中の今、生徒たちと3月から1度も会えていない。

「何とか大会に出してあげたいという思いです。野球をやりたくてもできなかった期間が長かったので、やらせてあげたい。発揮する場所があるのに、出場する権利もないというのは……」

言葉に詰まった。茂久田監督も大会の辞退を学校側から通達されたのは抽選会前日。その翌日には、東西東京大会の抽選会が行われていた。近くて遠すぎる大会の場。無念の思いでいっぱいだった。

青山学院高校野球部【写真提供:青山学院高校野球部】

選手と会えるのは大会開幕後、「何を話せばいいか」茂久田監督が抱える葛藤

抽選会を終えるとインターネット上や新聞などで組み合わせの一覧が出た。そこには青山学院の名前はない。茂久田監督は今年のトーナメント表を見ることができずにいる。事情を知らないOBたちからは、多数の電話がかかってきた。

「部員が足りなくて出場ができなくなったのか、または部で不祥事を起こしたのか…など聞かれました。何もできないことが選手に申し訳ない。せめて1~2か月など前もってその方向性が分かれば、生徒らにも説明する時間があったのですが、歯がゆい思いです」

選手は突然のことで納得していないだろう。次に生徒たちに会えるのは約1週間後になるといい、その頃にはすでに東東京大会は始まっている。どんな言葉をかければいいのか、自問自答の日々が続く。

「後ろ向きなことを言ってもスタートは切れないので、ポジティブな話をしたいなと思っています。一方で他の学校が大会に出ているので、ポジティブと言っても、あまりにも理想とかけ離れたような感じにしても……。どういう気持ちで選手が来るかもわかりません。やる気にみなぎっている生徒もいるだろうし、そうでない選手もいるはず。今は悩んでいます」

大会の開幕が18日に迫る中、どうにか出場ができないかと、まだ諦めたくない気持ちもある。ただ、自分たちや学校だけの問題ではないこともわかっている。すべては生徒たちのために何ができるか、その姿勢だけは失いたくない。

「高校野球は人間教育の場です。礼儀や人間関係もそうですし、どのようにして壁を乗り越えていくかも重要なこと。この2年半の時間は大学や社会人になっても大きく影響してきます。私はOBたちが次のステージで活躍することを求めています。なので、厳しめに指導していることもあります。世の中にはどうにもならないことや、嫌なこともやらないといけないこともある。文句を言い続けても仕方がない。外に矢印を向けるんじゃなく、自分に矢印を向けられるように指導していきたいです。こういう局面こそ、自分が変われるチャンスなんだよ、と」

当たり前のことが当たり前じゃなくなっている社会情勢。向けられた“矢印”の先に、明るい未来が待っていることを願いたい。夏を奪われた悔しさを前を向くエネルギーに変え、創部138年の伝統校は次への歩みを進める。(佐藤佑輔 / Yusuke Sato)

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