27周忌を迎えた炎のストッパー・津田恒実氏 親友・森脇氏と交わした還暦の約束

1984年から87年までカープに在籍した森脇浩司氏【写真:編集部】

7月20日が命日、今年で27周忌を迎える津田氏、親友・森脇氏が明かす思い出の数々

“炎のストッパー”として広島で活躍しファンから愛された津田恒実氏。脳腫瘍と闘い1993年7月20日にこの世を去ってから今年で27年の月日が経った。毎年、特別な思いでこの日を迎えるのは1984年から87年までカープに在籍した森脇浩司氏だ。

「別れるというのは非常に早かった。それは残念でしかたない。ついこの間のことに思うが実際は四半世紀も経つんだなと。でも、僕の心の中では生き続けている」

1984年にトレードで広島に移籍した際、同い年だった津田氏との出会いは意外なものだった。挨拶をしても素っ気ない態度で当初は「何か悪いことでもしたかな?」と思うほどだったという。それでも、チームに溶け込み、食事などを交わしていくうちにグラウンドを離れても一緒にいる無二の親友となっていた。

1993年オフに結婚したが、披露宴の席には津田氏の席を用意。参列者と同じ料理が運ばれ夫妻でグラスにドリンクも注ぎ、キャンドルサービスを行った。涙を流す同僚たちももいたが、森脇氏にとっては当たり前の光景だった。

「食事を食べるのが遅いから『ゆっくり運んでください』と食事を運んでもらう方に伝えていたり。その場には確実に津田の存在はありました。あれからもう四半世紀が過ぎますが、今でも私の中には当時の姿が鮮明に思い浮かびます」

今年で還暦を迎える森脇氏、8月に共に誕生日を迎える津田氏とは20代に旅行の計画が

今年で還暦を迎えるが、当時交わした約束がある。現役時代に津田氏は右肩の故障、森脇氏も腰の骨折や膝の靭帯を断裂するなど大きな怪我を乗り越えてきただけに、20代の時に冗談を言い合いながら様々な思いを巡らせていた。

「何度も約束して、60歳になった時に還暦の旅行をしようと。2人で冗談っぽく、僕は腰の骨を折って、足の靭帯をやっていたから津田は『お前は将来、下半身がダメになっている。俺は右腕が使い物になってないな』と冗談を言い合っていた。お互い8月が誕生日だったので共通点も多かった。もし生きていたら、具体的な話になっているんだなと思う。特に今年に関してはそういう思いがあったから、あの約束を津田はどう思ってるのかなと思いだしますね」

現役を全うできず志半ばでこの世を去った親友。一方で現役引退後は指導者として数々の名選手を育成しオリックスでは監督も務めた森脇氏。若き日に交わした約束は叶うことはないが、2020年は2人にとって特別な年になるはずだった。

バースを直球のみで3球三振に仕留めた瞬間、神宮で胴上げ投手になった気迫あふれる姿、フロリダに野球留学した数々の思い出があるが「最後は病院の闘病生活に集約された。7月20日の光景は鮮明にとても残っている」と語る。

津田氏との一番の思い出は1991年12月24日、退院し息子のクリスマスプレゼントを一緒に買いに…

津田氏との一番の思い出は1991年に福岡の病院を退院した12月24日。同年8月に入院した際には医者から「余命は12月」と言われていた。だが、津田氏の現役復帰にかける強い思いが状況を一変させ、奇跡的な回復をみせ退院できることになった。闘病生活を見守っていた森脇氏も感慨深く振り返る。

「当初は余命が12月までと言われていたが、逆に退院になった。病院の隣がデパートで、津田が『息子のクリスマスプレゼント買いに行きたい』と一緒に買いに行った。午前中に2人で子供のクリスマスプレゼントを買いに行ったあの光景は本当に強い感動を覚えた、余命と言われていただけにその時期に退院することになってね。周りの人なら当たり前の姿かもしれないが、津田が歩いている姿、玩具を選んでいてる光景がどれほど奇跡なことだったか、それを見てきただけにそう思います」

津田氏は1991年オフに退団届を球団に提出し、球団も本人の意思を尊重し受理した。それでも「マウンドに立つ」と現役復帰を諦めなかった。ダイエーに在籍していた森脇氏が球団に駆け寄り、自らの年俸の半分にしても、津田氏を獲得してほしいと、現役復帰を後押しした話は有名だ。

「本人が元気になってくれて、命を伸ばすことに繋がれば。そういう挑戦する姿を見せれば同じ病気と闘う人たちにも勇気を見せられると思った。本人も一緒にやろうと。それには時間がかかると思ったけど、球団が受け入れるという中では少し(枠に)幅もあった。本人も縁があってこっちにきていてホークスでという想いがあって。少しずつ積み重ねて、ある程度野球ができるからだになればやろうと」

キャッチボールができるまで回復した姿を見せるときもあれば、意識が遠ざかり危険な状態になるなど一進一退の状況が続いていた。ダイエー入団は夢に終わったが、森脇氏は不屈の闘志で病と闘った津田氏の姿に勇気と希望をもらい続けている。

「津田と同じように苦しんでいる人、それ以上に苦しんでいる人もいる。世の中にはたくさん、苦しんでいる方がいる。そういうのを思えば、僕たちのちょっと上手くいかないこと、コンディションの不具合なんかちっぽけなことだと思うから」

今も尚、脳裏には闘志をむき出しに打者と対峙した津田氏の姿が鮮明に焼き付いている。森脇氏は8月6日に60歳の還暦を迎える。病と闘い現役復帰を諦めなかった唯一無二の親友の思いを変わらずに胸に抱いている。いつの日か、叶わなかった約束を果たすために。

【動画】森脇浩司氏が語った津田恒実氏との秘話 交わした還暦の約束、重ねてしまう「背番号14」の投手とは?

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(橋本健吾 / Kengo Hashimoto)

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