<いまを生きる 長崎コロナ禍> “分断”なぜつくられる 留学から帰国した日本でも鮮明 諫早高・山邊さん

 昨年夏からインドに留学していた県立諫早高3年の山邊鈴さん(18)。核兵器をめぐる意識や親日感情などをつづった連載「ゴダワリ川のほとりから」(1月28~30日付)を本紙で掲載。スラム街の子どものファッションショーを開くなど充実した生活を送っていたが、新型コロナウイルス感染症の拡大に伴い、予定を前倒しして3月末に帰国。古里諫早で受験勉強に励む中、現地の様子を聞いた。

「新型コロナをきっかけに社会の分断が鮮明になっている」と語る山邊さん=諫早市内

 留学先はインド北西部のマハーラーシュトラ州ナシークの高校。生徒約2千人のうち、唯一の外国人だった。経済が急成長を遂げる一方、身分制度(カースト制)などを背景にした貧富の差や、「核兵器は必要」という意識の違いなど目まぐるしい日々を過ごした。
 3月初めのファッションショーは寄付金でなく、SNS(会員制交流サイト)を通じて衣装を募ると、アジアや欧米から約100着、送られた。「世界の人を巻き込みたいという思いと、思い入れのある服を募ることで『わたし』と『あなた』との関係性を作りたかった」

スラム街に住む子ども約40人が出演したファッションショー=インド・ナシークのショッピングモール(山邊さん提供)

 3月になると、インド国内でも新型コロナが拡大し始めた。中国・武漢を中心にした流行だったため、中国人と間違われ、石を投げられた。「悲しかったけど、仕方ないとも思った」。約10カ月間、インドで過ごした中で、村という共同体の警戒心の強さを知っていたからだ。
 インド全土がロックダウン(都市封鎖)される直前の3月21日に帰国。「やりたいこと、学びたいと思ったこと、すべてできた」。少しでも遅れていたら、今でもインドに足止めされていた。帰国後、2週間の自宅待機を経て、新学期から諫早高に復学、3年に進級した。
 インドでショーを開いたのは、身分の違いで差別感情が根強い社会に一石を投じたいという思いからだ。「同じ人間なのに『あの子はスラム街の子だから遊んだらいけない』と壁をつくっていた。社会の分断がなぜつくられるのか、ということに興味が強くなった」
 日本に戻ると、周囲は「ステイホーム」一色。感染予防を理由に、日本でも人権が脅かされ、社会的分断が深刻になっていると思った。「『ホーム』がない人。虐待を受けている子どもなど家にいることが安全ではない人。これまで社会の中であやふやになっていた分断がより鮮明に浮かび上がっている」
 海外の大学受験へ勉強に励む日々。「働く場所は地球のどこでもいい。一つだけ思うのは、人権が脅かされ、搾取されている人のために働きたい」。つらいこともあった留学生活だったが、夢がまた一歩、明確になった。

 山邊さんが留学生活を語る「私が見たインド そして 活動報告会」は8月2日午後2時、諫早市東小路町の市立諫早図書館視聴覚ホールで開かれる。定員50人。一般500円(高校生以下無料)。申し込みは8月1日までに、いさはや国際交流センター(電080.5217.0049)。


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