ロッキーズ・バードは7年ぶり 長期ブランクから復帰した選手たち

ロッキーズは日本時間7月18日にダニエル・バードが開幕ロースター入りする予定であることを発表した。イップスによる制球難もあり、2013年4月を最後にメジャーの舞台から姿を消したバードにとって、実に7年ぶりのメジャー復帰となる。メジャーリーグ公式サイトのサラ・ラングスは、長期ブランクを経てメジャー復帰を果たした選手を特集する記事を公開しており、そのなかには日本プロ野球経験者も含まれている。

2009年にレッドソックスでメジャーデビューしたバードは、翌2010年に自己最多の73試合に登板して防御率1.93の好成績をマーク。32ホールドはリーグ最多だった。2011年には前年を上回る34ホールドを記録したものの、先発に転向した2012年から極度の制球難に悩まされるようになり、メジャーリーガーとしてのキャリアは2013年限りで終了。その後もマイナーでプレーを続けたが、2014年にはA級で4試合に登板して奪ったアウトは2つだけ、与四球9、与死球7、失点13で防御率175.50というとんでもない数字を残している。

2018年にはダイヤモンドバックスで選手のメンター兼メンタル技術コーチを務めたバードだが、2019年シーズン終盤にメジャーリーガーとキャッチボールをするなかで現役復帰を決断。ロッキーズとマイナー契約を結び、見事に開幕メジャーを勝ち取った。バードが最後にメジャーのマウンドに立ったのは2013年4月27日(現地時間)。ちなみに、この翌日にロッキーズのチームメイト、ノーラン・アレナードはメジャーデビューを果たしている。

バードのメジャーリーガーとしてのキャリアには2014年から2019年まで6年に及ぶ空白があったことになるが、メジャーの歴史上、6年のブランクというのは決して珍しいことではない。しかし、最初のメジャー在籍時にある程度の実績を残したうえで、長期ブランクを経て復帰した選手となれば、メジャーの歴史上でもその数はそれほど多くはない。

エリアス・スポーツ・ビューロー社のリサーチによると、メジャーで5年以上プレーし、5年以上のブランクを経て復帰した選手は、1990年以降6人だけだという。1980年にサイ・ヤング賞の投票で2位にランクインする活躍を見せたマイク・ノリスは、酷使の影響もあって1983年限りでメジャーの舞台から姿を消したが、1990年に復帰してリリーフで14試合に登板。1981年から1986年にかけて4チームで28試合に登板したスティーブ・ファイアオビッドは、1987年からの5シーズンをAAA級で過ごし、1992年にメジャーで3試合に登板した。

1990年にワールドシリーズMVPを受賞するなどレッズのエースとして活躍したホゼ・リーホは、1995年にトミー・ジョン手術を受けてから肘の故障が相次ぎ、事実上の引退状態に。2001年の殿堂入り投票で1票を獲得したが、同年8月に悲願のメジャー復帰を果たした。殿堂入り投票で得票してから復帰するのはミニー・ミニョソ以来となる珍事。翌2002年は31試合に登板して5勝を挙げ、この年限りでユニフォームを脱いだ。

ジェイソン・レーンは2005年に26本塁打を放つなど、一時はアストロズのレギュラー外野手として活躍したが、翌年以降は急激に成績が悪化し、2007年を最後にメジャーの舞台から姿を消した。その後、投手に転向して独立リーグでプレーし、2013年7月にパドレスと契約。2014年に7年ぶりのメジャー復帰を果たし、3試合に登板して防御率0.87と好投したが、メジャーでの登板は1年限りだった。

記事中で紹介されている6人のうち、残りの2人は日本プロ野球経験者である。エクスポズの主力選手として活躍したウォーレン・クロマティは、1984年から1990年まで巨人で7年間プレー。1991年にロイヤルズでメジャー復帰を果たし、69試合に出場して打率.313をマークした。一方、1994年から1998年までの5年間に4球団で193試合に出場したロベルト・ペタジーニは、1999~2002年にヤクルト、2003~04年に巨人でプレー。2005年にメジャー復帰を果たし、この年はレッドソックスで18試合、翌2006年はマリナーズで31試合に出場した。なお、ペタジーニは2006年限りで引退したあと、2008年にメキシカンリーグで現役復帰。韓国のLGツインズや日本のソフトバンクでもプレーし、2010年限りで改めて引退した。

長期ブランクを経て復帰した6人は、復帰後のメジャー生活が1年ないし2年で終了している。イップスを乗り越えてメジャー復帰を実現させたバードは現在35歳。7年ぶりのメジャーの舞台でどのようなピッチングを見せるか注目したい。

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