テキ屋の「親分」が語るコロナ禍 自粛期間中は収入〝ゼロ〟 夏祭りも次々中止

祭りや縁日ににぎわいをもたらす露店(写真はイメージ。本文とは直接関係ありません)

 まん延する新型コロナウイルスはこの夏の祭り囃子を遠い存在にしてしまった。感染拡大防止のためやむを得ないことではあるけれど、そうなると気掛かりなのは「テキ屋」さんとも呼ばれる露天商たちの存在だ。商売の場を失い苦境に立たされているのだろうと想像はするが、当事者の声が取り上げられることは少ない。コロナ禍をどう生き抜いているのか。都内の一角で祭りなどの露店をとりまとめている「親分」に実情を聞いた。 (共同通信=松森好巨)

 ▽自粛

 「暇ですし今から行きますよ」。7月中旬、突然の取材申し込みにもかかわらず田中さん(仮名)は1時間とたたないうちに指定の喫茶店にやってきた。「私たちの業界は目立ちすぎるといろいろあるので」ということで、匿名を条件に話をしてくれることになった。

 新型コロナに話を移す前に、普段の仕事について教えてもらう。

 田中さんの場合、「若い衆」(従業員)たちとともに祭りや寺社などに出向いて店先に立つほか、付き合いのある露天商たちが出店できるよう警察署など関係先にまとめて許可申請する役割を担っている。また、露店を出す寺社や地域の商店街、町会(自治会)の人たちとの関係を築いていくことも大事な仕事だという。ただ、そうした日常はコロナで一変した。

 「うちは緊急事態宣言が出る前から露店を出すのをやめた。お客さんはお年寄りが圧倒的に多い。(営業許可を出す)警察に相談しても『おのおので判断を』と言うだけだったが、感染者が出ると大変なので自粛しました」

 春の彼岸にお花見…。本来なら大勢の人が出歩く時期だったが商売の機会を失った。そして4月7日の緊急事態宣言。街から人が消え、露店を出せるわけもなく翌月に解除されるまでの売り上げは「ゼロ」。従業員たちは別にアルバイトを探すことになったほか、田中さんは蓄えを切り崩しながら生活していたという。

 東京など5都道県で宣言が解除された5月25日以降、休日の露店を再開したが売り上げは通常の3分の1程度と振るわない。「人の流れが圧倒的に少ない。7月に入って都内の感染者がまた増えだしてからはなおさらだ」と田中さんは言う。

 さらに追い打ちを掛けるのが、年間の売り上げで大きな割合を占める盆踊りや花火など夏祭りが次々と中止になっていること。都内の各地区では、夏になれば大小を問わず毎週末のように開かれているそうだが、田中さんによると、今夏の開催を自粛しようという動きが大半だという。

 「夏祭りの後も10月いっぱいは大きな祭りは全部中止。この状態が正月まで続いたらどこまで耐えられるのか…」。苦悩は深まる一方だ。

夜空を鮮やかに彩る東京・隅田川花火大会の花火。今年は7月11日に予定されていたが、新型コロナウイルスの感染拡大により中止となった=2018年7月29日

 ▽地域の中で

 ところで、行政からの支援についてはどうなのだろうか。

 東京都が休業要請に応じた飲食店などに支給する「感染拡大防止協力金」は、露天商は固定した店舗といった施設をもたないため対象外に。売り上げが減った事業者に対する国が用意した施策についても田中さんは「私自身は申請できない」と話す。

 そのわけを田中さんは次のように説明する。

 先代の後を継ぎ親分となった田中さんだが、それと同時に自身の銀行口座を解約した。口座を持ち続けることで、銀行の「暴力団排除条項」に抵触する恐れがあったからだ。今回の国が設けた支援策を受けることができなかったのも、同じような理由だという。断っておくと、田中さんが継いだ団体は暴力団として「指定」はされていない。 田中さんは声を落とす。

 「露天商として地域の人たちから求められ商売をしていたのに…」

 この言葉の中にあるように、田中さんには地域の人たちとともに歩んできたという自負がある。

 暴力団排除条例が全都道府県で施行されるに伴い、地域の祭りから暴力団を排除する動きが一層強まっていった。都内でも同様の流れが起きたが、田中さんの出店する地域の人たちは「祭りのたびにいつも世話になっている」と露店を許可してくれたという。

 新型コロナによる自粛期間中も、付き合いのある地域の人たちからは何度も「大丈夫か」と心配りを受けた。緊急事態宣言が解除された後、露店を出すと地元の政治家から「にぎわいを取り戻せるようこれからも店を出し続けてよ」と激励された。

 田中さんは言う。「(緊急事態宣言の)解除後、露店が出せるようになったが売り上げとしては正直厳しい。でも、地域の人の思いもあるのでなんとか続けていきたい」

 ▽伝統

 歴史的にテキ屋や香具師(やし)などと呼ばれてきた露天商。厚香苗氏の「テキヤはどこからやってくるのか?」(光文社新書)によれば、江戸時代から続くとみられる露天商の一家が存在するなど、商人集団としての伝統を今に伝えているとされる。

 もちろん、映画「男はつらいよ」の寅さんのようになめらかな啖呵売(たんかばい)をする人はほとんどみかけなくなり、売り物も時代の流れとともに変化していった。それでも、祭りににぎわいをもたらす役割は今でも変わらない。

祭りの射的屋で、コルク銃で射的に興ずる子どもたちや若者たち=1973年9月、東京都杉並区

 しかし、朝は早く夏は炎天下での商売となるなど厳しい世界。田中さんによると、露天商の高齢化が進む一方、近年はこの道の門をたたく若者が減ってきているという。

 暴力団との関係を含めて世間の風当たりも強くなるなか、自身は踏ん張るつもりでいながらも、露天商という職業の先行きを見通せないでいるのも確かだ。

 「もし子どもが後を継ぎたいと言ってきても、やらせたくない」

 ◇  ◇

 暴力団排除条例 暴力団対策法を補完し、資金源の遮断などによって暴力団の活動を制限することを目的に自治体レベルで制定。2011年までに全都道府県で施行された。多くが、学校周辺への組事務所開設制限や公共工事への参入防止、用心棒代の支払いなどによる組織への利益供与を禁じており、違反した場合、懲役刑などの罰則も設けている。

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