諫早大水害63年 記録的大雨で危険水位超す 避難判断に課題

避難行動の目安が示されている水位危険度レベルの看板。レベル2~3で避難準備、開始が求められる=諫早市永昌東町、裏山橋そば

 記録的な大雨に見舞われた6日、諫早市の本明川は1982年の長崎大水害以来初めて、氾濫危険水位(3.7メートル)を超し、住民は身を震わせた。57年7月の諫早大水害を教訓に、河川整備や自治会ごとの防災マップ作成などハードとソフトの両面から災害対策が続けられているが、今回の大雨では避難判断や避難所開設を巡る課題があらためて浮き彫りになった。

 「本明川が氾濫しそう」-。6日午後3時すぎ、茶色く濁った水が中心部の堤防に迫る勢いの写真が、ツイッターに投稿された。
 ほぼ同じころ、中心部から1~2キロ北の本明町。「川から水があふれ、道路が冠水した」-。住民の通報で駆け付けた諫早署員は、川沿いの民家など約10軒に避難を促した。住民は「防災行政無線が聞こえず、警察官が来なかったら危なかった」と振り返る。
 さらに上流部のグループホームは天気予報を見て、隣接する建物に入所者を数時間前に避難させていた。63年前の大水害を経験した近くの80代女性は「今回はあっという間に水位が上がっていくのが見えて怖かった」と語る。
 国土交通省長崎河川国道事務所によると、諫早駅に近い裏山地点の水位は午後2時40分、1.7メートルを越え、事前防災行動計画(本明川水害タイムライン)では避難準備に入る段階。気象情報に基づく5段階の警戒レベル2に相当した。
 午後2時50分、避難判断水位の3メートル(警戒レベル3)に。わずか10分で1メートル以上、上昇し、午後4時10分、氾濫危険水位の3.7メートル(同4)に達した。その間、市が発表したのは避難所13カ所の開設(午後3時)、市北部など5地区の土砂災害警戒区域への避難勧告(同3時半)。それ以外の住民は本明川の切迫した状況をほとんど知らないまま。午後4時半、全域に避難勧告が発表されると、避難所に市民が殺到。新型コロナウイルス感染症対策のため、入場者の検温などの手続きも重なり、入場を待つ人の長い列が続いた。
 裏山地点そばの天満町。川が氾濫すれば浸水が想定される地域。午後3時すぎ、同町自治会の堀口春記会長(78)宅に電話が相次いだ。「避難所(北諫早中)が開いていない」-。市に尋ねると、「上司に相談する。開設している避難所の上山荘(宇都町)に行って」と返ってきた。北諫早中の避難所が開設されるまで1時間余りかかった。
 本明川の対岸にある上山荘まで1キロ余り。堀口会長は「あんな濁流の川を渡って行けなんて実態を分かっていない。住民は防災マップに載っている避難所(北諫早中)に逃げようと思うのが当然」と憤る。
 堀口会長は、避難所の鍵を地元住民の代表に預け、すみやかに開設したり、担当職員が到着するまでの間、住民が代わって運営したりする仕組みの必要性を痛感。「避難所の運営方法など具体的方針を事前に決めておけば、自治会は協力できる」と地元への権限移譲を提言する。
 災害発生の危険性が高まった場合、市長が住民に避難を指示する。宮本明雄市長は「今回は水位が急激に上昇し、いきなり避難勧告になったが、判断に問題はない」と説明。本明川水害タイムライン策定で座長を務めた松尾一郎東京大大学院客員教授は「水位が短時間で上昇するのは分かっている話。避難勧告の前に、避難準備・高齢者等避難開始などの出すべき避難情報は出すべきだ。限られた職員の中での役割分担や必要な人員体制の検証が必要」とし、警戒レベルと関連付けた避難判断の必要性を指摘する。
 25日は大水害から63年。「50年に1度の大雨」が頻発する中、時代の変化に合わせ、即応性の高い災害対策がより求められそうだ。


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