山形内陸部は暑いです【50代から始めた鉄道趣味】341

※2014年8月撮影

トップ画像は、1993年(平成5年)から左沢線専用に導入されたキハ101形。JR東日本のキハ100形をベースに作られました。

左沢線が走り出す前に、その歴史を振り返っておきます。

1921年(大正10年)左沢軽便線として山形駅~羽前長崎駅間が開業。翌年、左沢駅まで全通。

1987年(昭和62年)国鉄分割民営化でJR東日本に承継され左沢線の起点が北山形駅に変更されました。2008年(平成20年)明治期の貴重な全錬鉄製ワーレントラス橋であることが評価され最上川橋梁が土木学会選奨土木遺産に選定されました。

13:36発の寒河江行に乗りました。

その最上川橋梁を渡っています。手前は晴れていますが、奥は陽が当たっていません。

※2014年8月撮影

※オリジナル写真が縦なので加工してあります

改正「鉄道敷設法」では左沢から長井線(現・山形鉄道フラワー長井線)の荒砥を結ぶ左荒(さこう)線、奥羽本線の楯岡(現・村山)と寒河江を結ぶ分岐線の寒楯(かんだて)線も計画されましたが実現には至りませんでした。

羽前髙松駅からは、1974年(昭和49年)に廃止された山形交通三山線(11.4km)が間沢駅まで延びていました。

13:59に寒河江に到着。しかし左沢行は、15:54。ほぼ2時間(1時間55分)の待ち時間です。山形~寒河江間は1時間に1本程度の運行ですが、寒河江~左沢間は運行本数が6~9時は毎時1本ですが、9時台の次は12時、その次が15時54分なのです。

とりあえずホームでキハ101形左沢線専用の外観。キハ101-2です。

※2014年8月撮影

ここで左沢(あてらざわ)という難読地名についてですが、起源には諸説あります。宝暦年間の地誌『出羽國風土略記』に、最上川の右岸を「こちらの沢」、左岸を「あちらの沢」と読んだことからの転訛説。実際に左沢市街地は最上川左岸です。

柳田國男に拠ると古語に樹木の日の当たらない側をアテと云い、転じて日当たりの悪い土地をアテと称したことに基づくとの説。その他にも説がありますが煩雑になるので略しますが、要は諸説あって定かではないのです。

北山形に向かって最後尾。101-2。

※2014年8月撮影

先頭側は、トップナンバーの101-1、前照灯が点いているので出発の様です。

※2014年8月撮影

山形側の2両編成が切り離されて出発した様です。101-6も前照灯が点いています。

※2014年8月撮影

橋上駅舎にあがります。跨線橋は自由通路になっています。

※2014年8月撮影

北東側には広い駅前広場があってバスやタクシー乗り場になっています。というかホントに気温が35℃を超えている感じでひなたにいると倒れそうです。

※2014年8月撮影

剰りにも暑いので続きは次回にします。

※筆者は既にコラムなどで今回の青春18きっぷ鉄道旅の写真を度々使用しています。重複していますが、御容赦ください。

※価格などは2014年当時のものです。

(写真・文/住田至朗)

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