14世紀に1億人が死亡、ペスト禍から「検疫」「出入国管理」が生み出された

過去、パンデミックはグローバル化によって引き起こされてきました。14世紀のヨーロッパで猛威を振るったペストは、シルクロードの発展により商人たちの行き来が盛んになったことが理由のひとつです。シルクロードは富や文化だけでなく、菌やウイルスも運ぶ道でした。

そしてペスト禍のヨーロッパでは、厳しい検疫に陰性証明書の携帯など、コロナ禍の現代と同じように旅人を行き来を制限するようになったのです。


モンゴルでは今月に入りペストが発生

7月14日、モンゴル保健省は15歳の少年が腺ペストによって死亡したと発表しました。この少年はモンゴル南西部、中国にも近いゴビ・アルタイ県に住んでおり、ネズミの一種であるマーモットを食べたことでペストに感染したと考えられています。現地ではいま、少年の濃厚接触者が隔離治療を受けているほか、一部の地域を封鎖して警戒に当たっています。人類の歴史上、とくに重大なパンデミックを引き起こしてきたペストは、いまも生き続けているのです。

もともとはネズミなど、げっ歯類の病気だったようです。しかしペスト菌はノミを媒介にして、人類にも感染するようになります。リンパ節が冒される腺ペスト、肺が侵食される肺ペスト、そして全身で激しい内出血を引き起こし、皮膚が黒くなって死んでいく敗血症性ペストに分かれています。この敗血性の症状から、ペストは「黒死病」と呼ばれて恐れられてきました。

もともとはネズミの病気だった

人類史上初のペスト・パンデミックは、542年に東ローマ帝国で起きました。インド原産のクマネズミが由来ではないかという説がありますが、コンスタンティノープル(現在のイスタンブール)を中心に多くの死者を出しました。

遠いインドからペスト菌を運んだものは、船ではないかと考えられています。当時の大国だったインドとエジプトの間には、海を渡る交易路が開かれていましたが、その積み荷の中にネズミが紛れ込んでいたのです。強靭な生命力によって新しい土地にも生息域を広げていったネズミたちは、やがて地中海世界に進出、人口の密集する都市部でパンデミックを引き起こしました。

しかし6世紀はまだまだ陸路の交通網が整っていませんでした。そのためペスト菌を持つネズミも沿岸部の港町に住む程度だったのです。ペストはなんとか地中海世界での流行に留められていました。

モンゴル帝国が発展させたシルクロード交易

2度目のペスト・パンデミックは壊滅的でした。14世紀にヨーロッパ全土で大流行を起こし、およそ1億人が死亡。その頃の世界人口が4億5000万人だったことを考えると、まさに人類滅亡の危機ですらあったかもしれません。

このときは、やはりマーモットが原因ではないかと見られています。マーモットはモンゴルから中国西部、天山山脈周辺まで広く分布しており、この地域でたびたびペストが小規模な流行を起こしていたのです。

ペスト菌をヨーロッパに運んだのは、シルクロードでした。6世紀の頃とは大きく異なり、ユーラシア大陸を大横断するルートが築かれて、たくさんの商人が行きかうようになっていたのです。開発したのはモンゴル帝国でした。

シルクロードが文明を発展させたが、同時にパンデミックの原因ともなった。写真はウズベキスタン、シャフリサブス

騎馬を駆り、中央アジアからアラブ世界、ヨーロッパと次々に征服し巨大な帝国をつくりあげたモンゴルは、いまでいうグローバル化を促進させていきます。街道を整備し、治安を安定させ、駅伝制度によって通信システムを確立し、東西交易を活発にさせました。こうしてユーラシア大陸をゆく旅人が急増したのです。

かつてモンゴル帝国の首都が置かれていたハラホリン。いまは16世期に建てられたチベット仏教の寺院群が残る

人、モノ、情報が行きかうようになったシルクロードに乗って、マルコポーロやイブン・バットゥータといった歴史的な旅行家も生まれます。彼らは現代のバックパッカーたちの大先輩のような存在だったかもしれません。インフラと治安の改善が、旅行者の増大を促して、文化交流と商業を発展させる……それはLCCの広がりとネット網の拡大によってグローバル化が進んだ現代にもよく似た状況だったかもしれません。

現代のコロナウイルスは飛行機によって全世界に拡散していきましたが、ペストはシルクロードの隊商に潜んでいました。マーモットが生息する地域も、シルクロードは貫いていたのです。

現代につながる出入国管理の始まり

1347年、イタリアのシチリア島で最初のペストが発生。アジアから運ばれてきた毛布に付着していたノミが原因だといわれています。以降ヨーロッパで展開された「地獄」についてはもはや語るべくもありませんが、その過程でペストが伝染病であり、人の移動を制限することで感染拡大を封じられることが、ある程度わかってきます。

そうなるとコロナ禍の現代と同じことが起こります。グローバル社会に制限をかけようという動きが広がっていったのです。

自由な交易や旅行が制限され、陸路では商品の厳しい管理がなされるようになりました。また「衛生通行証」を取得し、ペストに感染していないことを証明しないと入域できない都市が増えていきます。PCR陰性証明書がないと海外渡航できない現在とそっくりです。

各地の港では交易の船が足止めされました。船員は沖合や島などに隔離され、40日間の拘留が義務づけられたのです。この期間を経て、ペストを発症しなかった人間だけが、港や街に入ることができました。これもやはり、海外に渡航したり、海外から帰国した場合に15日間の隔離が求められるコロナ禍社会と同じです。

こうしたペスト対策はイタリア北部から始まりました。そのため「40日間」を意味するイタリア語北部の方言「Quarantina」がヨーロッパに広まっていきます。やがて「Quarantine」という英語になり、「検疫」を表す言葉として世界的に定着し、国際空港でもおなじみの存在になりました。現在の出入国手続きでも必ず目にする検疫は、ペスト禍から生まれたのです。

20世紀にはインドでもパンデミックが

その後ペストは19世紀になるとアジアで流行します。1899年には日本にも上陸。中国やインド、東南アジアなどにも広がっていきましたが、その背景には植民地政策があります。列強諸国がアジア各地を植民地として「経営」する中で、交通インフラが整備され、都市化が進み、相互の往来はより激しくなりました。やはりグローバル化がペスト菌を拡散させたのです。

ペストは抗菌薬による治療が確立した現代でも、たびたび発生しています。1994年にはインド西部の街スーラトでペスト禍が起こり、5000人が感染、50人が死亡。街を脱出する市民が続出し、インドを発着する航空機はストップし、国境は封鎖されました。こうした経験を積み重ねてきたからこそ、今回のコロナ禍でも比較的迅速に、どの国も入国制限を敷いたのでしょう。

人を滅ぼすかに思えたペストも、時間はかかりましたが収束し、その後はより広く深くグローバル社会は拡大していきました。アフターコロナもきっと、世界は緊密化し、互いの結びつきをさらに強めていくのではないでしょうか。

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