【高校野球】「甲子園に憑りつかれていた」 巨人坂本を育てた鬼監督が語る脱・勝利至上主義の理想

明秀日立・金沢成奉監督【写真:佐藤佑輔】

登録制限がない今大会は、2試合で3年生部員31人全員を出場させた

高校野球茨城代替大会は24日、ノーブルホームスタジアム水戸で3回戦が行われ、明秀日立が13-0の5回コールドで那珂を破り、4回戦へ駒を進めた。出場選手の登録制限がない今大会、明秀日立は3年生部員31人全員を含む40人で選手登録。この日はベンチメンバー25人が代わるがわる出場し、初戦の科技日立戦と合わせて3年生全員が出場を果たした。総力戦でつかんだ勝利の裏には、高校球界屈指の“鬼監督”として知られる金沢成奉監督の変化があった。

明秀日立は初回から打者一巡の猛攻で6点を奪うと、その後も先発全員に交代を送る代打攻勢。10点リードの4回には背番号「31」の代打・國井誉大(3年)の適時打を皮切りにダメ押しの3点を加えた。投げては異なる4投手の細かな継投で5回を1安打無失点。投打で那珂を圧倒した。

光星学院(現八戸学院光星)では春夏通算8度、明秀日立でも2018年春に甲子園出場を果たした金沢監督は「よく打つ? それがうちのウリですから。例年はどうしてもレギュラーとメンバー外が別々に練習をやるが、今年はそれが一体になってやってきた。31番の子はブルペンキャッチャーとしてずっとチームを支えてくれて、捕手なので出しどころが難しかったが、あそこで打ってくれてベンチも大変盛り上がりました」と選手を称えた。

東北福祉大では金本知憲前阪神監督の先輩にあたり、前任校の光星学院(現八戸学院光星)時代には現巨人の坂本、現阪神の北條、現ロッテの田村らを育てた。定評のある打撃指導の一方で、練習の厳しさは高校球界随一。そんな金沢監督にとってもコロナ禍での大会中止はこれまでの自身の指導を省みる大きな機会になったという。

コロナ禍で省みたこれまでの指導、勝利至上主義から脱却する大きな機会に

「自分は今まで何をやってたんだろうか、自分の指導は間違っていたんじゃないかと、本気で考えさせられました。適度な休養もさせず選手を練習漬けにして、本当に昭和の高校野球をやっていたなと。勝つことばかり求めて、私自身がそのプレッシャーに負けていた。過去にもこういう戦い方をしていれば、もっと甲子園に行けたんじゃないかとすら思ってます」

手腕を買われ強豪私立の監督を任される以上、結果がすべての世界。周囲からのプレッシャーゆえに県外の有望選手を多数獲得したり、過度な練習量を課したり、レギュラーと控えの練習を分けたりとこれまで信念を持って勝利至上主義を貫いてきたが、今回の甲子園中止で自らの考えを改め、肩の荷が下りた部分もあるという。

「甲子園に憑りつかれていた。今は毎日が楽しくて、これぞ高校野球だと。高野連に是非提案したいのは、今後もこういう(3年生全員が出場できる)システムを県大会だけでも採用できないものか。努力が報われるとは限らないが、それが報われたときほどうれしいことはない。純粋に監督から、ファンになる瞬間がありましたから。来年以降、私がもとの勝利至上主義に戻ることがないよう、お前らしっかり見張っててくれよと今の3年生には伝えています」

今後は勝ちあがるにつれさらに厳しい戦いが続く。主力投手が2年生の今年、3年だけで勝ち進む事には難しさも伴うが「甲子園がなくなったなかで3年生がどういう風にやるのか。粘り強く諦めない姿を後輩たちにも見せたい。1試合でも多く勝つという目標と3年生主体という理想は両立させたい。2年生の力を借りざるを得ないところでは借りますが、その2つを両立できる手応えを感じました」と金沢監督。チーム一丸と勝つことの両方を目指しその理想を証明するためにも、甲子園のない特別な夏に茨城の頂点を狙う。(佐藤佑輔 / Yusuke Sato)

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