西(にし)彼杵(そのぎ)半島の西約7キロにある長崎市の池島。ここには、2001年まで42年にわたり石炭を生産した池島炭鉱(たんこう)の関連施設(しせつ)が今でも数多く残っとるって聞いたよ。しかも、トンネルのような本物の坑道(こうどう)を見学できるのは全国でも、ここだけって。日本の産業発展(はってん)を支(ささ)えた炭鉱ってどんな施設だったとかな。坑内体験ツアーに参加し、島内も巡(めぐ)ってきたばい。
空気ひんやり
長崎市神浦(こうのうら)港からフェリーで約30分。池島港の桟橋(さんばし)で出迎(でむか)えてくれたガイド役の尾崎政治(おざきまさはる)さん(59)は元炭鉱マン。坑内でダイナマイトを扱(あつか)っていたとげな。まず池島開発総合センターで、ビデオなどを見ながら池島炭鉱の説明を受けたばい。
池島で生産を始めたのは1959年。松島炭鉱という会社が石炭を求めて地下を掘(ほ)り進めた結果、坑道は池島の南西約3キロにある蟇島(ひきしま)を越(こ)え、約10キロ先まで延びたんだって。その周辺にも網(あみ)の目のように広がり、坑道の長さは計96キロもあったというから、びっくり。
炭鉱マンはエレベーターで海面から650メートル下まで一気に降(お)りて、坑道を時速約50キロで走る96人乗りの高速人車に乗ったり、人用のベルトコンベア(マンベルト)に乗り換(か)えたりして移動(いどう)。一番遠い採炭現場(さいたんげんば)に着くまで1時間半も掛(か)かったとってさ。
説明の後は、予約していたアルミ容器入りの「炭鉱弁当」で腹ごしらえ。愛知県の小学4年、一柳(いちやなぎ)ゆりさん(9)は「炭鉱マンになった気分」と笑みをこぼしていたばい。
さて、いよいよ坑道へ。入り口で、尾崎さんに手渡(てわた)された石炭は意外に軽い。良質(りょうしつ)の石炭ほど軽いとげな。操業時(そうぎょうじ)に資材(しざい)などを運んだトロッコに乗り込(こ)み、真っ暗な坑内へ入ると、空気はひんやり。気温は一年中18度くらいで、薄着(うすぎ)だと寒いくらいやった。
池島炭鉱は九州最後の炭鉱で、さまざまな最新の採炭機械を導入(どうにゅう)。坑道を掘るための「ロードヘッダー」という機械は、巨大(きょだい)な先端部(せんたんぶ)を回転させて1日に30メートル掘り進めたとげな。
ドリル操作(そうさ)も
石炭を掘る「ドラムカッター」も大迫力(はくりょく)。池島で1日8千トンも出炭できたのは、この機械のおかげなんだって。
石炭層(そう)を崩(くず)すダイナマイトを詰(つ)めて爆発させるための穴(あな)を開ける「せん孔(こう)機」。その先端のドリルを回す操作(そうさ)もツアーでは体験できるとばい。
未知の世界は、スケールが大きく驚くことばかりやった。1時間の坑内体験は短く感じられたばい。
一番心に残ったのは、「メタンガスや水などに細心の注意を払(はら)っていた」と話した尾崎さんの真剣(しんけん)な表情(ひょうじょう)。坑道では可燃性(かねんせい)のメタンガスが発生しやすく、爆発(ばくはつ)を引き起こす恐(おそ)れがある。地下を掘っていて、水脈に当たると坑内は水没(すいぼつ)する。炭鉱マンは常(つね)に危険(きけん)と隣(とな)り合わせ、命がけの仕事やったとばい。
閉山(へいざん)までの池島炭鉱の総出炭量は約4450万トン。そこには懸命(けんめい)に働いた炭鉱マンたちがいた。島の歴史をもっと詳(くわ)しく知りたくなったばい。