メクル第476号 炭鉱で栄えた島 長崎・池島の魅力 ツアーで体感! 坑道も見学できるよ

いざ坑道へ。ヘッドライト付きのヘルメットをかぶりトロッコに乗り込むツアー参加者

 西(にし)彼杵(そのぎ)半島の西約7キロにある長崎市の池島。ここには、2001年まで42年にわたり石炭を生産した池島炭鉱(たんこう)の関連施設(しせつ)が今でも数多く残っとるって聞いたよ。しかも、トンネルのような本物の坑道(こうどう)を見学できるのは全国でも、ここだけって。日本の産業発展(はってん)を支(ささ)えた炭鉱ってどんな施設だったとかな。坑内体験ツアーに参加し、島内も巡(めぐ)ってきたばい。

 空気ひんやり

 長崎市神浦(こうのうら)港からフェリーで約30分。池島港の桟橋(さんばし)で出迎(でむか)えてくれたガイド役の尾崎政治(おざきまさはる)さん(59)は元炭鉱マン。坑内でダイナマイトを扱(あつか)っていたとげな。まず池島開発総合センターで、ビデオなどを見ながら池島炭鉱の説明を受けたばい。
 池島で生産を始めたのは1959年。松島炭鉱という会社が石炭を求めて地下を掘(ほ)り進めた結果、坑道は池島の南西約3キロにある蟇島(ひきしま)を越(こ)え、約10キロ先まで延びたんだって。その周辺にも網(あみ)の目のように広がり、坑道の長さは計96キロもあったというから、びっくり。
 炭鉱マンはエレベーターで海面から650メートル下まで一気に降(お)りて、坑道を時速約50キロで走る96人乗りの高速人車に乗ったり、人用のベルトコンベア(マンベルト)に乗り換(か)えたりして移動(いどう)。一番遠い採炭現場(さいたんげんば)に着くまで1時間半も掛(か)かったとってさ。
 説明の後は、予約していたアルミ容器入りの「炭鉱弁当」で腹ごしらえ。愛知県の小学4年、一柳(いちやなぎ)ゆりさん(9)は「炭鉱マンになった気分」と笑みをこぼしていたばい。
 さて、いよいよ坑道へ。入り口で、尾崎さんに手渡(てわた)された石炭は意外に軽い。良質(りょうしつ)の石炭ほど軽いとげな。操業時(そうぎょうじ)に資材(しざい)などを運んだトロッコに乗り込(こ)み、真っ暗な坑内へ入ると、空気はひんやり。気温は一年中18度くらいで、薄着(うすぎ)だと寒いくらいやった。
 池島炭鉱は九州最後の炭鉱で、さまざまな最新の採炭機械を導入(どうにゅう)。坑道を掘るための「ロードヘッダー」という機械は、巨大(きょだい)な先端部(せんたんぶ)を回転させて1日に30メートル掘り進めたとげな。

 ドリル操作(そうさ)も

 石炭を掘る「ドラムカッター」も大迫力(はくりょく)。池島で1日8千トンも出炭できたのは、この機械のおかげなんだって。
 石炭層(そう)を崩(くず)すダイナマイトを詰(つ)めて爆発させるための穴(あな)を開ける「せん孔(こう)機」。その先端のドリルを回す操作(そうさ)もツアーでは体験できるとばい。
 未知の世界は、スケールが大きく驚くことばかりやった。1時間の坑内体験は短く感じられたばい。
 一番心に残ったのは、「メタンガスや水などに細心の注意を払(はら)っていた」と話した尾崎さんの真剣(しんけん)な表情(ひょうじょう)。坑道では可燃性(かねんせい)のメタンガスが発生しやすく、爆発(ばくはつ)を引き起こす恐(おそ)れがある。地下を掘っていて、水脈に当たると坑内は水没(すいぼつ)する。炭鉱マンは常(つね)に危険(きけん)と隣(とな)り合わせ、命がけの仕事やったとばい。
 閉山(へいざん)までの池島炭鉱の総出炭量は約4450万トン。そこには懸命(けんめい)に働いた炭鉱マンたちがいた。島の歴史をもっと詳(くわ)しく知りたくなったばい。

石炭を掘るのに使われた「ドラムカッター」も間近で見学。トゲトゲが付いたドリルのよう
石炭層にダイナマイトを詰める穴を開けるせん孔機の操作を体験する参加者

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