原爆投下後「黒い雨」はどこに降ったのか? 広島地裁が初の司法判断 原告側の全面勝訴

米軍機が撮影した、広島への原爆投下後の画像

 広島に原爆が投下された後に降り注いだ「黒い雨」を巡り、広島地裁は29日、初めての司法判断を示した。「黒い雨」を浴びたのに被爆者健康手帳の交付申請を却下したのは違法として、広島県内の84人が市と県に処分取り消しを求めた訴訟は、原告側の全面勝訴となった。雨はどこに降ったのか。裁判では何が争われたのか。Q&A形式で整理した。(47NEWS編集部)

 Q 「黒い雨」とは。

 A 原爆投下後に、爆発の衝撃で巻き上げられた放射性物質を含んだほこりやちりなどが上昇気流に乗り、黒く大粒の雨となって降り注いだもの。広島市では投下の数十分後から数時間、爆心地やその周辺に降ったとされる。雨には「死の灰」と呼ばれる核分裂生成物などが含まれているが、どれくらい降ったかは分かっていない。

 Q どんな裁判だったか。

 A 国は1976年、原爆投下後に大雨が降った爆心地から北西に長さ約19キロ、幅約11キロの範囲を「特例区域」に指定し、援護対象とした。この区域外で黒い雨などを浴びて被ばくしたと主張する広島県の88人が2015~18年、県と市に被爆者健康手帳の交付を求めて広島地裁に提訴した。訴えを起こしてから5年がたち、88人のうち16人が亡くなり、遺族を含めた現在の原告84人の最高齢は96歳に達する。

「黒い雨」訴訟の判決で広島地裁に向かう原告団=29日午後

 Q 原告が求めた被爆者健康手帳とは。

 A 原爆が投下された広島、長崎両市や隣接地での被爆者のほか、2週間以内に爆心地に近づいたり、救援したりした人たちに交付される手帳で、医療費や葬祭料を受給できる。うち放射線が原因の病気で治療が必要と認められれば、原爆症として医療特別手当も支給される。

原爆ドーム

 Q これまでの経緯は。

 A 国が援護対象とした特例区域は、原爆投下の数カ月後、当時の広島管区気象台の技師らが住民に聞き取りをし、1時間以上雨が降ったと評価した「大雨域」に当たる。訴えた88人が雨に遭ったのは爆心地から最も遠くて約30キロだが、区域の境から数十メートル離れただけの人もいる。また、全員が「原爆症」と認定され得る病気を発症したが、被爆者健康手帳の交付は認められず、補償はない。

 住民側は何度も区域の見直しを求めたが、国は「科学的根拠がない」と拒否。1970年代後半の調査で、特例区域を除く爆心地から半径30キロ圏内で原爆の残留放射線が確認できなかったことなどを重視した。

 広島市は2010年、特例区域を約5倍に広げるよう要望。アンケートや面接調査で得た黒い雨に関する約1500人分の回答を統計学的に分析した結果を根拠とした。しかし、国は専門家の検討を経て「降雨域の確定は困難」と結論付けた。このため、住民らは「最後の手段」として訴訟に踏み切った。

 Q 判決はどうだったか。

 A 29日午後2時から広島地裁で言い渡された判決は、原告全員の請求を認める原告側の全面勝訴となった。判決で広島地裁は「国が定めた特例区域外でも黒い雨が降った可能性がある」と指摘した。

全面勝訴と書かれた紙を掲げる原告側弁護士=7月29日午後、広島地裁前

 Q 雨の範囲以外の争点は。

 A 雨などの放射性降下物が人体に及ぼした影響も争点だった。降下物によってどの程度被ばくするのかなど明らかになっていない部分が多く、その危険性を巡る科学的な結論は出ていない。今回の判決で広島地裁は「特例区域外でも黒い雨を浴びた場合は放射線の影響があったとするのが相当だ」とした。

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